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26. 家族の伝統

私と母は二人で父の故郷へ墓参りに行った。その晩は伯父の家に泊まって酒と夕食を御馳走になり、食後もお茶を飲みながら親戚の誰彼についての四方山話に花を咲かせた。伯母が母に風呂をすすめ、母は「それではお風呂の後は休ませて貰います」と挨拶して出て行き、しばらくすると今度は私が風呂に入る番となった。もてなし酒の酔いも醒め、とてもよい気持になった。

風呂を出て伯母に礼を云い、われわれ母子にあてがわれた客間に向かう。母は布団に入っていたが、まだ起きていた。
「あんなに呑んで、お前大丈夫かい?心配してたよ」と母。
「もう醒めちゃった。まだ呑めるよ」と私。
「馬鹿をお云いでないよ。お父さんみたいに肝臓で死んだらどうするの」
「適当に休肝日作ってるから大丈夫だよ」
「キュウカンビ?」母が戸惑う。
「呑まないで肝臓を休める日だよ。父さんみたいに毎日呑むと、肝臓が働き詰めで弱っちゃうらしいんだ」
父は五年前肝臓癌で亡くなってしまった。その後、母は一人で田舎に住んでいたのだが、60を過ぎた母を一人にしておくのは心配なので、都会暮らしを嫌がる母を無理矢理私の家へ引っ張って来た。慣れないことが多く戸惑い気味だった母も、孫(私の息子、娘)と遊ぶ喜びや、近所の民謡塾で色んな民謡を歌う楽しさを知り、ようやく田舎へ帰りたいと云わなくなった。
「お前も40近いんだから、もう身体を大事にしなきゃ…」
「分ってるよ。母さんに貰った大事な身体だからね、壊さないようにするよ」
「そうしとくれ。じゃ、もう寝ようか?」と母。
「うん」私が電気を消した。
「お休み」と母。
「お休み」と私。

暗闇の中で私は生と死について考えていた。あと10年か15年もすれば、この母も小さな骨壺に入ってしまい、暗い墓の中に納められてしまうのだ。いや、老少不定と云うから、母は100まで生きて私が父と同じぐらいの歳で先に逝くのかも知れない。時は止まることをしない。時はこの世の登場人物たちの夢や希望、思惑などに一切お構いなく舞台を回転させ続け、人を老いさせ、人を墓の中へと追い込んで行く。二度と同じ登場人物が揃うことはない。その時限りの特別興行。無慈悲である。残酷である。唯一の慰めは、時の歩みは富める者、貧しい者、幸福な者、不幸な者、それら全てに公平だということだ。裕福な者だけが楽しく幸せな時をゆったりと長く享受出来るわけではない。逆に、悲惨な境遇にある人、不治の病を得た人がより長く苦しむということもない。それだけが取り柄である。

私は母に甘えて育った。小学校へ上がる直前まで母の乳房を吸いたがった。父母というものは、いつもこの世のどこかにいて、私を見守ってくれていると思い込んでいたのだが、父がこの世を去った後、それが儚い望みであることが分った。母もいつかは老衰か癌かによって痩せ衰えて萎びてしまうのだ。悲しかった。

私はもぞもぞと布団を抜け出し、母の布団に潜り込んだ。両手で母の身体を抱く。
「な、なに?」母が寝入りばなを起されてパニックになる。
「抱くだけだ。母さん、抱かせて」と私。
「お前!何すん…」母は私を押し退けようとする。
「…」私は母がすり抜けられないように、上体でのしかかって母の身体を抱き締める。それまでの私の気持は、感傷的な気分によって母を抱き締めたいというものであった。ところが、母の身体にのしかかった時点で事情が変わってしまった。女体に覆いかぶさるということは、それが生みの親であろうと誰であろうと男の性欲を亢進させるものらしい。私のペニスはむくむくと起き上がった。男というものは勃起したペニスを放置しておけない動物だ。手を触れて自ら慰めるか、女体にぶち込むか、どちらかである。この場合、60数歳とはいえ、母のおまんこが真下にあるとなれば、そこに納めたくなるのは当然である。私は母の浴衣の裾を両脚でさばいて母の股ぐらを曝け出すと、ブリーフ越しに私のペニスをぐりぐりと母の陰部に擦り付けた。
「おやめっ!酔ってるねっ!」と母。
「酔ってない。母さんとやりたいんだ」
「何を云ってるの!馬鹿な!」
「母さんが死ぬ前に一度やりたいんだ」と私。
母の動きが止まった。暗闇の中でさえ、母が穴の開くような目で私を見つめているのを感じた。
私は母の帯を解き、その素裸の上にかぶさって母を抱いた。母の肌はしっとりとすべすべだった。私はふにゃふにゃの母のおっぱいを揉み、乳首に吸い付きちゅうちゅうと吸ったりぺちゃぺちゃと舐めたりした。
「一度だけだよ。誰にも云うんじゃないよ」母が云った。
母が近親相姦は罪悪だとか、道徳や倫理、人の道だの獣(けだもの)の道だのを持ち出して来ることを予想していた私は、逆に拍子抜けした。母は私の頭を撫でてくれた。私は母に口づけした。母は素直に舌を出して、私が吸ったり舐めたりするがままにさせてくれた。母の唇の上の短い髭がチクチクし、母の年齢を感じさせた。私は母と舌を絡めながら、母の身体を撫で廻した。全体に張りが失せてふにゃふにゃの肉だった。尻も張りがないとはいえ、ここは肉の多いところなので触り甲斐があった。私は母の尻の肉を初めて揉んだ。

私はいきなり母と性交を始めるのではなく、この歴史的な出来事をゆっくり味わおうとした。母の両脚を開かせ、その股ぐらを勃起したペニスで突つく。
「あっ、あっ!」母が感じる。ペニスがクリトリスに当たったらしい。
私は入れようとするのでも、特別クリトリスを攻撃するのでもなく、童貞でどこに穴があるか分らない少年のように無茶苦茶に母の陰部を突ついた。
「あーん!」母が身をよじってよがり出す。
母のよがり声は私を興奮させた。私に生を与えてくれた女をよがらすというのは不思議な体験だ。肉体ではなく脳が興奮している。このままおまんこに移ったらすぐ漏らしてしまいそうだった。私は前戯で充分母を興奮させることにした。私は母のおまんこに手を伸ばし、親指をクリトリスに、中指と薬指を膣口に当てた。親指で細かい蠕動を繰り返しながら、膣に二本の指を突っ込む。
「おっおおーんっ!」母がよがる。
私は母の首筋や頬や耳たぶを舐めた。子犬が母犬にすがって甘えている姿が脳をかすめる。
「ああーんっ」母が愛の喜びと性の悦びを綯い交ぜにして興奮する。
私が母の乳首を擦ったり抓ったり押したりして刺激する。
「いーっ!」母が叫ぶ。
私は伯父や伯母に聞こえたらどうしようと不安になった。私は母の口にシーツの端を捩じ込んだ。母はその意味を悟り、口一杯にシーツを頬張った。
母の高まりが充分と見て取った私は、母の膣口にペニスの狙いを定め、ずぶりと押す。母の年齢のせいか愛液の出が少ないようだ。入れにくい。私は一旦ペニスを引き抜き、口に溜めた唾をペニスに塗りたくると、それが乾かぬうちにずぶずぶと母の体内にペニスを押し込んだ。
「ぶぎーっ!」シーツをくわえた母が呻く。
ついに母と性交してしまった。私は、生みの親と交わって自分が生まれた産道にペニスを埋め込むことは、もっと戦慄すべきことかと思っていたのだが、それはあっけないものであった。母も一人の女に過ぎず、そのおまんこも他の女のおまんこと変わらなかった。それも、60過ぎの緩いおまんこだ。

私は一種拍子抜けしながら、それでも愛する母をイかさなくては…と義理マンのような性交を始めた。と、母の膣がぎゅっと締まった!60数歳の緩んだおまんこと侮っていたのだが、何と息子のペニスを歓迎するように、じわーっとすぼまり、じわーっと緩む。(こ、これは!)私は驚いた。夢のようだが夢ではない。(名器だ!)こんな名器がずっと目の前にあったのに、私は何年も放っぽらかしにしていたのか!馬鹿だった。私は喜び勇んでおまんこを始めた。母と恥骨を擦り合わせる。
「ぶぐうーっ!」母がくぐもったよがり声を出す。
私は母が絞り上げすぼめた膣の肉襞を掻き分けるようにピストン運動をする。
「ばぐぐぐっ!」母が腰を突きだし、より深くペニスを迎え入れようとする。
私は片手を二人の身体の間に差し込み、母のクリトリスを刺激する。
「ぶぎゃぎゃぐわーっ!」母がイった。
どぴゅんどぴゅんぴゅーん!私は更年期を過ぎた母の体内にモロに精液をぶちまけた。

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私はそこでパタンと日記を閉じた。それは私が母の云い付けで屋根裏で探し物をしていて、行李の一つから発見した父の日記だった。わが肉親の秘密を知った驚きと興奮で、私の手はぶるぶると震えた。心臓がどっくんどっくんと高鳴っている。父が生みの親(私の祖母)と交わっていたとは!

その父は数年前胆嚢癌で60前の若さでこの世を去っていた。母は56歳で今も健在である。私も父と同じように乳離れの遅い、甘ったれで育った子供であった。私も母がいつまでも変わらずに私の傍にいてくれるように思っていたのだが、それは間違いなのだ。父が書いていたように、「母もいつかは老衰か癌かによって痩せ衰えて萎びてしまう」のは避けられない運命なのだ。

しばらくして妻と子供たちが妻の実家へ泊まりがけで行った日、私は母の寝所に夜這いをかける決心をした。「時は止まってくれず、人間はどんどん老い込んで行く」のだ。母が私を拒むなら別だが、もし受け入れてくれるなら母が少しでも若いうちがよい。母に性欲が残っていて、その肉体も枯れぬ前が互いのためにいいことだ。

私は足音を忍ばせて母の部屋に近寄り、そーっと襖を開けて母の布団に潜り込んだ。
「な、何だい?!」母が目を覚ました。
「母さん!」私は母の温かい身体を抱き締めた。
「お前!恐い夢でも見たのかい?」と母。
「おれ、もうそんな子供じゃないよ」と私。
「じゃ、何だい?」
「母さんを抱きたいんだ」
「抱いてどうすんだい?」
「おまんこしたい」ああ、ついに云ってしまった。それは一旦口から出た以上、もう取り戻せない一言であった。母が私をぶん殴るか、蹴飛ばすか、そんな子を生んだ悲しさで泣き出すか、それとも全部か。私の心臓は高鳴った。
「断っとくけど、あたしのは名器じゃないよ」と母。
「え?」私はずっこけた。「な、な、どうして…?」動顛してろれつが回らない。
「父さんが亡くなって形見分けする時に、あの日記を見つけたんだよ。読んでて濡れちゃったよ」
「涙で?」
「愛液でさ」
私はまたずっこけた。母がざっくばらんな性格であることは承知していたが、ここまでとは思わなかった。
「ひょっとして、おれにあの日記読ませるために屋根裏へ行かせたの?」
「あんまり待たせるから、お前は来てくれないのかと思ってた」
「回りくどいことしやがって、このーっ!」私は母の寝間着の両脇に手を入れ、母の脇の下をくすぐった。
「ひゃーっ、ぐはは、やめて!こらーっ!」母が涙を流して苦しむ。

「素直に、おまんこしてって云えばよかったじゃないか!」私が抗議する。
「そんなこと云えないよ」と母。「お前に『お袋相手じゃ立たない』なんて断られたら、あたしゃその後どんな顔して生きていきゃいいんだよ?口が裂けても、女から『おまんこして』なんて台詞云えるもんかね」
「ふーん?結構古いとこもあんだね」
「そうさ。もう婆さんだからね」
「そんなことないよ」私は母の寝間着の前を開け、二つの乳房を揉む。「まだ張りがあるじゃないか」私は乳房の一つに吸い付く。子育てで酷使された乳首は大きく固い。私はその乳首を噛んだり舐めたり吸ったりする。
「あああ、いいねえ!」母がうっとりする。
私は母のおっぱいをしゃぶりつつ、手を母のお腹へ、腰へ、お尻へと廻し、撫で廻す。
「うむむ」母が私の頭を撫でる。
私の手は母の陰部へ伸びる。そこは密集した陰毛に覆われている。私は割れ目を開いて、クリトリスを探り当て、そっと擦る。
「あはーんっ!」母がよがる。
私はクリトリス刺激を継続しつつ、他の指で膣口を撫で廻し、愛液の滲出を心待ちにする。
「お前のを舐めさせて!」と母。
「え?」生みの親にフェラチオをさせるなんて想像もしていなかった。たまげた。と同時に私は考えた。女の口から「おまんこして」とは云えないと云う母である。「舐めさせて」というのは「おまんこを舐めてくれ」という謎掛けではないか?私はそれが当たっているかどうか確かめる気はなかった。母と69をすればいいのだ。それだけのことだ。

「まあっ!」私が起き上がって69の体勢を取ると、母は驚喜した。やはり、母はおまんこを舐めて貰いたがっていたのだ。
「こんなに立派になったのね…」母は目の前にぶら下がった私の勃起したペニスを撫で廻し、愛しそうに頬ずりした。息子の“息子”の成長を喜んでいるのだ。
私は母の陰毛の茂みを掻き分け、クリトリスを舐めた。上に、下に、圧したりくすぐったりした。
「うぐふーんっ!」母がよがった。
私はペニスで母の顔を突つき、フェラチオ開始を催促した。母がペニスを舐め出す。私の妻はフェラチオが嫌いで、ほとんどやってくれない。自分が欲情した時に私を立たせるためにやる程度だ。そこへ行くと母親のフェラチオは情が篭っていた。母犬が子犬を舐めるのと同じというか、自分の生んだ子の逞しいペニスを舐めるのが嬉しくも誇らしいという感じだ。私も母への愛を伝えるために、情の篭ったクンニをする。
「ばぶーん!ぶごごーっ」母がペニスを頬張りながらよがり、身悶えする。
私は充分に濡れた母のおまんこに指を突っ込む。中指を精一杯伸ばし、母の体内の恥丘の裏側を撫で廻す。
「ぶぐわーっ!」母が感電でもしたように身体を弓なりにする。「お、お前、いま何したの?」
「Gスポットという性感帯に触ったんだ」と私。
「じいすぽっと?婆さんに爺(じい)スポットがあるのかい?」
「ローマ字のGだよ。その性感帯を発見した学者の名の頭文字だよ」
「ふーん?お前、色んなこと知ってるんだねえ。お父さんはそんなとこ触ってくれなかったよ」
「父さんの頃は知られてなかったと思うよ」
「そう?長生きはするもんだねえ。もっと触っておくれ」
「うん!」私は母の体内を撫で廻し、Gスポットを刺激する。
「あうっ、あはん、あーんっ!」母がのけ反ってよがる。

母の興奮が私に伝染した。もうおまんこせずにはいられなかった。私は体勢を変え、正常位で母の身体に乗っかり、ずぶずぶとペニスを母のおまんこに突っ込んだ。
「ひーっ!」母が悦ぶ。
父は母親との性交に特別の感慨を抱かなかったようだが、私は違った。生まれ出た産道にペニスを押し込むというのは、只のおまんこではない。私が生を授かった子宮という故郷を目指す行為だ。母の濡れた肉襞によって快楽を得ながら、父が精液をぶちまけた子宮口に息子の自分も精液を放とうとしている。それは、母以外世界中のどの女からも味わえない感慨である。
私は母の一本の脚を抱え、正常位から松葉崩しに体位を変えた。性器の結合がより深くなり、快感も増す。私は硬直したペニスで母の体内を掻き回す。
「あひーっ、むがーっ!」母は自分の乳房を揉み、乳首をいたぶってよがる。果たして母も自分が産み落した息子とやっていると自覚してよがっているのだろうか?単に一人の男とやっているという快感に過ぎないのか?
私は空いている手を母のクリトリスに伸ばし、腰のピストン運動とクリトリス刺激を同時に行なう。
「あうーっ、あうあうあう、死ぬ〜っ!」母が死んだ。
私は松葉崩しの体勢を解き、正常位で母の身体を抱き締めながら激しく腰を動かす。親子二代の近親相姦のクライマックス。「ぐむむーっ!」私はどどどぴゅーん!と母の子宮めがけて射精した。

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私はそこでパタンと日記を閉じた。それは父の書き物机の鍵がかかった引き出しに入っていて、最近私が偶然盗み読みしたものだ。祖父がその母(私の曾祖母)と交わり、父がその母(私の祖母)と交わった、二代にわたる母子相姦の記録は私にはショックだった。私にもその異常で淫らな血が流れているに違いないが、私の母は数年前に脳溢血で亡くなっていたし、私が母子相姦の伝統を守ることは不可能だ。でも、この家の伝統が生みの親を性的に慰めるという趣旨であれば、私にもその伝統を受け継ぐことは出来る。今夜にも孤独な父の布団に素裸で潜り込み、股を開きさえすればいいのだ。私は女なのだから。




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