24. 性愛のリング私(42歳)の親友が亡くなった。原因不明の衰弱死だった。私は友人代表として葬儀から四十九日の法要まで、裏方として遺族をサポートした。ある日、寡婦となった友人の奥さんから「お時間があったら、いらして下さい」との連絡を受けた。数日後が友人の月命日だったので、その日を選んで焼香に訪れた。 私はそのテープのことをしばらく忘れていた。ある日曜日の夜、何もすることがなかったので、以前デジタル・カムコーダーで撮影したビデオの整理を思い立った。カメラとVHSデッキを接続し、カメラの小さなビデオカセットから必要な場面だけをVHSテープにダビング(コピー)する。友人がくれた高画質テープはこういう目的に最適のものだ。 最初に選んだのは五年前に病死した妻(34歳)が入院中、当時12歳だった長女、9歳だった次女とともに病室を見舞った時のものだ。私はカメラがぐらぐらしているショットやあまり面白くないお喋りを削除した。次の素材は妻の死後、次女が10歳になった誕生日のものだった。 二本の素材を高画質のVHSに編集・コピーし終えた私は、他の素材をコピーする前にちょっと出来栄えをチェックしてみる気になった。病院のベッドに寝ている妻の画像で、私はポーズ・ボタンを押し、懐かしい妻の姿をまじまじと見つめた。妻はぽっちゃりした顔の可愛い女だった。甘い新婚時代や長女が生まれた頃など、節目節目の妻との生活が私の頭の中に走馬灯のように去来した。その時、不思議なことが起った。ポーズ・ボタンを解除していないのに、画面の妻が動き出したのだ。ビデオデッキの機種によっては、あまりに長時間ポーズをかけるとテープを痛めるため、自動的にポーズがオフになって通常再生に戻るものが多い。しかし、その時は僅か数秒しか経っておらず、事実ポーズ・ボタンは押されたままの状態に留まっていた。 画面の中の妻はベッドから起き上がり、カメラの方に向かって這って来る。(おかしい!妻はそんなことはしなかった)私は不可解な映像を前に身体を凍り付かせていた。白い寝間着を着た妻の姿はどんどんカメラに迫って来る。妻はもがくように手を振り回した。と、TVのブラウン管の外側の縁に妻の手が出て来た。そして、ブラウン管から妻の頭がにゅーっと出て来た。3Dの映像なんかじゃない。ほんとの妻の頭がTVからこの部屋に出て来たのだ。 妻は私がもたれている壁に手を突き、少しずつ身体を持ち上げ、私の顔の前に陰部を突きつけた。下着は着けておらず、陰毛に囲まれた割れ目がモロ見えである。私は妻の意図を察し、両手で妻の割れ目を開き、クリトリスを舐め出した。五年前に死んだ妻の亡霊にクンニするという、信じられないような体験である。私は妻を愛していたし、妻を殺したわけではないから怨まれる筋合いはなかった。妻の亡霊も私に祟ろうとしているわけではなさそうだ。私の心は次第に落ち着いて来た。 幽霊を見たというだけで気違い扱いされるだろうに、幽霊とおまんこしたなどと誰かに口走ったらどうなるのだろう。しかし、これは夢ではない。妄想でもない。私は妻のおまんこの味を知り尽くしている。本物であった。 妻は両手を私の肩において、しゃがんだ体勢で腰のぐりぐり廻しを始めた。私の目の前で、死んだ筈の妻が大きく口を開けてよがっている。妻は時折腰を上下させて私のペニスに最高の快感を与える。私は妻の亡霊のおっぱいを揉みながら、妻の口に吸い付いた。 翌日、わたしはまた妻の画像を表示してポーズにし、またブラウン管から「おまんこしてーっ」とのたくり出て来る妻を待っておまんこした。男やもめの私としては、女を買う必要もなく、愛していた妻とおまんこ出来るのだから、これはありがたかった。しかし、文学部出の私は、上田秋成や小泉八雲の物語で、人間が亡霊と交わり精気を吸い取られて死んでしまうというパターンを熟知していた。私の親友が原因不明の衰弱死を遂げたのも、亡霊との異常な性交が原因であったのかも知れない。私は死んだ妻とのセックスはほどほどにすべきだと思った。 ある夜、私は例のVHSテープは亡霊だけを呼び戻すものなのかどうかテストする気になった。亡き妻の映像を早送りすると、長女・真依(まい、当時12歳)の画像が出て来た。真依はロング・ヘアをアップに丸めた、母親似の可愛い娘である。私はポーズ・ボタンを押した。 私は12歳の女の子にキスし、おっぱいがやっと膨らみかけた胸の乳首を舐め、そのピンクの蛤(はまぐり)に見蕩れた。私が真依のクリトリスを舐めると、膣口からじゅくじゅくと愛液が滲み出て来た。私は猛り立ったペニスを幼いおまんこにずぶりんこんと突っ込んだ。 次の日は10歳の次女・芽依(めい)を呼び出した。あどけなく愛らしい顔の芽依も「パパ、おまんこしてーっ!」と這い出して来た。裸にすると、少年のように真っ平らな胸に二つの乳首。「花なら蕾」とか云うが、まだまだ固い蕾みもいいところだ。下半身に目を移すと、もっこりした恥丘に、これまたぷっくらした大陰唇が膨れて割れ目を盛り上げている。私はそのまんじゅうのようなおまんこを左右に開き、桜色に濡れた粘膜をぺろぺろ舐めた。 「あら、パパどうしたの?急にビデオ・カメラなんか持ち出して?」17歳の長女・真依が云った。日曜日、食後のお茶の時間である。娘たちも私も浴衣姿だった。 その夜、私は撮ったばかりの娘たちの映像をVHSテープにコピーした。途中で会社の同僚から電話が入った。数日後のゴルフ・コンペ参加の際、私の車に二人ほど同乗者を乗せてくれという依頼であった。話している間に、コピーは終っていた。 私は17歳になった真依の映像にポーズを掛け、ブラウン管から這い出させた。少女から女になりかけている真依は、おっぱいが膨らみお尻にも丸く肉がついている。援交などと無縁だった私には、こんな時期の娘っ子を抱いたり裸にしたりすることなど夢のまた夢であった。その上、おまんこまで出来るなんて望外の幸せとしか云い様がなかった。 次の夜は15歳の芽依をブラウン管から呼び出しておまんこした。これで私は10歳、12歳、15歳、17歳の娘らとおまんこしたことになる。生涯で最も充実した性生活であった。 その次の夜、私は誰とおまんこしようかとルンルン気分であった。妻や五年前の娘たちの映像もまだ消しておらずテープ前半に残してあるので、10歳から34歳の女たちから自由に相手を選択出来るのだ。私はビデオデッキの再生ボタンを押した。先日の日曜日の娘たちの映像の最後の部分が出て来た。そして、突如カメラがぐらぐら揺れ、私の顔が画面に現われた。真依が私を撮ったカットだ。(ぐえっ!)たとえ自分でも42歳のジジイの顔など見たくもない。私は慌ててポーズ・ボタンを押した。その咄嗟の行動は完全な間違いだった。停止ボタンを押すべきだった。 TV画面の中の浴衣姿の私がもがくように手を振り回し、TVから手を突き出し、のたくりながら畳の上に這い出して来た! |
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