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24. 性愛のリング

私(42歳)の親友が亡くなった。原因不明の衰弱死だった。私は友人代表として葬儀から四十九日の法要まで、裏方として遺族をサポートした。ある日、寡婦となった友人の奥さんから「お時間があったら、いらして下さい」との連絡を受けた。数日後が友人の月命日だったので、その日を選んで焼香に訪れた。
「仲田さんの名前が書かれているものを見つけましたので…」と奥さんが中型の封筒に入ったものを差し出した。確かに、仲田という私の名が記されていた。
「何ですか?」と私。
「さあ?」
私はその場で封筒を開けてみた。VHSテープが入っていた。背に「DVダビング用」とマジックで書かれたタイトル・シールが貼ってある。DVとは「デジタル・ビデオ」の略だ。部屋にあったビデオデッキにVHSテープを入れて試写してみた。もし、遺族の映像が入っているのであれば、そのまま置いて来るつもりだった。しかし、映像信号も音声信号も記録されておらず、画面はジャミジャミのままだった。友人が死ぬ前に消去したのだろう。(どうしたものか?)私は当惑したが、テープが一流メーカー製の高画質のものだったので貰って帰ることにした。

私はそのテープのことをしばらく忘れていた。ある日曜日の夜、何もすることがなかったので、以前デジタル・カムコーダーで撮影したビデオの整理を思い立った。カメラとVHSデッキを接続し、カメラの小さなビデオカセットから必要な場面だけをVHSテープにダビング(コピー)する。友人がくれた高画質テープはこういう目的に最適のものだ。

最初に選んだのは五年前に病死した妻(34歳)が入院中、当時12歳だった長女、9歳だった次女とともに病室を見舞った時のものだ。私はカメラがぐらぐらしているショットやあまり面白くないお喋りを削除した。次の素材は妻の死後、次女が10歳になった誕生日のものだった。

二本の素材を高画質のVHSに編集・コピーし終えた私は、他の素材をコピーする前にちょっと出来栄えをチェックしてみる気になった。病院のベッドに寝ている妻の画像で、私はポーズ・ボタンを押し、懐かしい妻の姿をまじまじと見つめた。妻はぽっちゃりした顔の可愛い女だった。甘い新婚時代や長女が生まれた頃など、節目節目の妻との生活が私の頭の中に走馬灯のように去来した。その時、不思議なことが起った。ポーズ・ボタンを解除していないのに、画面の妻が動き出したのだ。ビデオデッキの機種によっては、あまりに長時間ポーズをかけるとテープを痛めるため、自動的にポーズがオフになって通常再生に戻るものが多い。しかし、その時は僅か数秒しか経っておらず、事実ポーズ・ボタンは押されたままの状態に留まっていた。

画面の中の妻はベッドから起き上がり、カメラの方に向かって這って来る。(おかしい!妻はそんなことはしなかった)私は不可解な映像を前に身体を凍り付かせていた。白い寝間着を着た妻の姿はどんどんカメラに迫って来る。妻はもがくように手を振り回した。と、TVのブラウン管の外側の縁に妻の手が出て来た。そして、ブラウン管から妻の頭がにゅーっと出て来た。3Dの映像なんかじゃない。ほんとの妻の頭がTVからこの部屋に出て来たのだ。
「ひえーっ!」私は腰を抜かし、足をばたばたさせてTVから遠ざかろうとした。
ブラウン管の中の妻は身体全体をぬーっとブラウン管から抜き出し、部屋の畳の上に這い出て来た。
「お、お前!ひ、ひーっ!」私は恐怖で気が狂わんばかりだった。必死で後ずさりする。
妻は寝間着の裾をはだけ、畳の上に四つん這いになり、巨大な蜘蛛のように私に迫って来る。私の背は壁にぶち当たった。もう後退出来ない。蜘蛛女となった妻が私の身体にのしかかって来た。私は総毛立ち、ガタガタ身体を震わしていた。
「おまんこして…」と妻が云った。
「えっ?」私は耳を疑った。亡霊の言葉とは到底思えなかったからだ。

妻は私がもたれている壁に手を突き、少しずつ身体を持ち上げ、私の顔の前に陰部を突きつけた。下着は着けておらず、陰毛に囲まれた割れ目がモロ見えである。私は妻の意図を察し、両手で妻の割れ目を開き、クリトリスを舐め出した。五年前に死んだ妻の亡霊にクンニするという、信じられないような体験である。私は妻を愛していたし、妻を殺したわけではないから怨まれる筋合いはなかった。妻の亡霊も私に祟ろうとしているわけではなさそうだ。私の心は次第に落ち着いて来た。
「んー、あーっ、んんーっ」妻がよがる。
私は妻の膣口に指で触れた。濡れていた。亡霊も愛液を噴出するのだ。私は指二本を妻のおまんこに突っ込み、指の腹を恥丘側に向けて撫で廻し、Gスポットを探った。
「んぎゃーっ!」妻の亡霊が吠えた。
妻のよがり声を聞いた私は、それにつられて興奮した。ペニスがにょきにょきと立ち始めた。私は夫として妻の性欲を満足させてやりたいと思った。それが、成仏出来ぬ妻に対する夫の勤めである。その思いを察したかのように、妻が片手を伸ばして私の股間を探った。私はズボンとブリーフを取り去った。妻の手が勃起した私のペニスを握る。私の準備完了状態を知った妻は、天井を向いて直立している私のペニスの上にゆっくり腰を落とした。ゆっくり軟着陸する月面調査機の感じである。妻は尻をぐりぐり廻して膣口をペニスの真上になるよう調整した。膣口が亀頭を捉えた。その瞬間、妻がすっと腰を落し、私のペニスはずぶずぶっと妻の体内にめり込んだ。

幽霊を見たというだけで気違い扱いされるだろうに、幽霊とおまんこしたなどと誰かに口走ったらどうなるのだろう。しかし、これは夢ではない。妄想でもない。私は妻のおまんこの味を知り尽くしている。本物であった。

妻は両手を私の肩において、しゃがんだ体勢で腰のぐりぐり廻しを始めた。私の目の前で、死んだ筈の妻が大きく口を開けてよがっている。妻は時折腰を上下させて私のペニスに最高の快感を与える。私は妻の亡霊のおっぱいを揉みながら、妻の口に吸い付いた。
「ぶぐぐーんっ!ぶびーんっ!」私にキスされながら妻がよがった。
私は妻の腰の運動の単調さを補うべく、時折腰を突き上げて妻の子宮口を突つく。
「ぶぐわーっ!」妻が最高によがる。
私は片手をわれわれの性器の間に差し入れ、妻のクリトリスを刺激した。
「ばぐぐぶわーんっ!」妻がイった。
「むぎゅうっ!」私が下から精液を噴き上げた。
「あああああ」妻は恍惚感を堪能していたが、おまんこしていた体勢のまましゅるしゅるしゅるとビデオの「早巻き戻し」の感じでブラウン管の中に後退して行き、元の「ポーズ」(一時停止)状態の「ポーズ」(姿勢)に復帰した(ややこしい)。私はぐったりとなって、そのまま寝入ってしまった。

翌日、わたしはまた妻の画像を表示してポーズにし、またブラウン管から「おまんこしてーっ」とのたくり出て来る妻を待っておまんこした。男やもめの私としては、女を買う必要もなく、愛していた妻とおまんこ出来るのだから、これはありがたかった。しかし、文学部出の私は、上田秋成や小泉八雲の物語で、人間が亡霊と交わり精気を吸い取られて死んでしまうというパターンを熟知していた。私の親友が原因不明の衰弱死を遂げたのも、亡霊との異常な性交が原因であったのかも知れない。私は死んだ妻とのセックスはほどほどにすべきだと思った。

ある夜、私は例のVHSテープは亡霊だけを呼び戻すものなのかどうかテストする気になった。亡き妻の映像を早送りすると、長女・真依(まい、当時12歳)の画像が出て来た。真依はロング・ヘアをアップに丸めた、母親似の可愛い娘である。私はポーズ・ボタンを押した。
ポーズ状態であるにも関わらず、真依が妻と同じようにブラウン管からのたくりながら室内に這い出て来た。
「パパ、おまんこしてーっ!」と真依が云った。
私はほんとの真依とブラウン管から現われた真依の区別がつかず、パニックに陥った。
「ちょっと待って!」私はそう云って現在17歳である真依の寝室に走り、現在の本物の真依がすやすやと眠っているのを見届けて安心した。私の部屋へ戻ると、12歳の真依が全裸で仰向けになり、おまんこ丸出しで待っていた。例のVHSテープは亡霊を呼び起こすだけではなく、現存の人物であってもビデオに撮影された当時の肉体を現実世界に送り届けて来るのだ。大発見であった。
私は近親相姦に憧れてなどいなかったが、御多分に漏れず中年特有のロリコン症候群には冒されていた。だから、幼い女の子の身体をいたずらしたいという欲望はあった。ただし、自分の娘に対してではない。どこの父親もそうだろうが、他人の子は犯せても自分の子を犯す気にはならない。しかし、実際の自分の子でなく仮想現実の子であれば話は別である。ほんとの子を犯せば近親相姦だが、仮想現実の子はバイオロイド(バイオテクノロジーを用いて作られた人工生命体)みたいなものであり、近親相姦には該当しない。VHSテープが送り届けて来た娘には、何をしようが実害はないのだ。

私は12歳の女の子にキスし、おっぱいがやっと膨らみかけた胸の乳首を舐め、そのピンクの蛤(はまぐり)に見蕩れた。私が真依のクリトリスを舐めると、膣口からじゅくじゅくと愛液が滲み出て来た。私は猛り立ったペニスを幼いおまんこにずぶりんこんと突っ込んだ。
「あむーっ!」真依がよがった。処女膜の痛みなどないようだ。「おまんこして!」と這い出して来るぐらいだから、処女膜などなく、凄く好色なのだ。
近親相姦の疑似体験と未成年との疑似性交が私を興奮させた。ほんとの娘ならイかしてやるべきだが、ブラウン管から出て来た少女はダッチワイフみたいなものなのだから、気にしなくていいのだ。私は子宮口に届くぐらい存分に深くペニスを突っ込み、激しくピストン運動をした。
「はーれーっ!」長女がイった。
「うむぐーっ!」私はどっぴゅーんどっぴゅーんと娘の体内で射精した。

次の日は10歳の次女・芽依(めい)を呼び出した。あどけなく愛らしい顔の芽依も「パパ、おまんこしてーっ!」と這い出して来た。裸にすると、少年のように真っ平らな胸に二つの乳首。「花なら蕾」とか云うが、まだまだ固い蕾みもいいところだ。下半身に目を移すと、もっこりした恥丘に、これまたぷっくらした大陰唇が膨れて割れ目を盛り上げている。私はそのまんじゅうのようなおまんこを左右に開き、桜色に濡れた粘膜をぺろぺろ舐めた。
「あひーっ!」芽依がよがった。股の間に愛液が滴り落ちた。
私は次女の身体に勃起したペニスを突き立てた。10歳のおまんこはきつく、なかなか入らなくて汗をかいたが、その甲斐はあった。ペニスに吸い付いて来る子供のおまんこは最高だった。10歳の少女とのおまんこなんて、誰にでも出来ることではない。やるなら児童買春か家庭内の児童虐待しかないが、これらは露見すれば刑務所送りの対象となる。ところが、私がやっているのは完全に合法であり、人畜無害、安全この上ないセックスなのだ。私は亡くなった友人の贈り物に感謝した。

「あら、パパどうしたの?急にビデオ・カメラなんか持ち出して?」17歳の長女・真依が云った。日曜日、食後のお茶の時間である。娘たちも私も浴衣姿だった。
「誰かのお誕生日?」と15歳の次女・芽依。
「お前たちが将来結婚する時のためだよ。ほら、披露宴で花嫁の赤ん坊時代から大学時代までのスライド写真を見せたりするだろ」
「あ、知ってる」真依は従兄の結婚式に出たことがあるから、見たことがあった。
「今はスライドじゃなくてビデオを見せるんだ。パパも、お前たちを数年おきに撮って準備しとこうと思ってね」
「わあ!パパ偉い!」真依が両手を胸の前で合わせて喜ぶ。
「わーい!」結婚など考えたこともない芽依だが、単純に姉に同調する。
私は二人の笑顔アップやお菓子を頬張っている顔などを一人ずつカメラに収めた。
「パパも撮ってあげる」真依が私の手からカメラを奪って、レンズを私に向けた。
「パパはいいよ」私が云う。「もう結婚もしないし」
「あら?分んないじゃない?」撮影しながら真依がませたことを云った。

その夜、私は撮ったばかりの娘たちの映像をVHSテープにコピーした。途中で会社の同僚から電話が入った。数日後のゴルフ・コンペ参加の際、私の車に二人ほど同乗者を乗せてくれという依頼であった。話している間に、コピーは終っていた。

私は17歳になった真依の映像にポーズを掛け、ブラウン管から這い出させた。少女から女になりかけている真依は、おっぱいが膨らみお尻にも丸く肉がついている。援交などと無縁だった私には、こんな時期の娘っ子を抱いたり裸にしたりすることなど夢のまた夢であった。その上、おまんこまで出来るなんて望外の幸せとしか云い様がなかった。

次の夜は15歳の芽依をブラウン管から呼び出しておまんこした。これで私は10歳、12歳、15歳、17歳の娘らとおまんこしたことになる。生涯で最も充実した性生活であった。

その次の夜、私は誰とおまんこしようかとルンルン気分であった。妻や五年前の娘たちの映像もまだ消しておらずテープ前半に残してあるので、10歳から34歳の女たちから自由に相手を選択出来るのだ。私はビデオデッキの再生ボタンを押した。先日の日曜日の娘たちの映像の最後の部分が出て来た。そして、突如カメラがぐらぐら揺れ、私の顔が画面に現われた。真依が私を撮ったカットだ。(ぐえっ!)たとえ自分でも42歳のジジイの顔など見たくもない。私は慌ててポーズ・ボタンを押した。その咄嗟の行動は完全な間違いだった。停止ボタンを押すべきだった。

TV画面の中の浴衣姿の私がもがくように手を振り回し、TVから手を突き出し、のたくりながら畳の上に這い出して来た!
「ひえーっ!」私はぞっとして腰を抜かした。妻や娘が這い出して来る姿にも鳥肌が立ったが、肌をあらわにした女の場合は色っぽさでまだ救われていた。乱れた浴衣から胸毛やすね毛を剥き出しにしながら、大蜘蛛のように這いつくばっている中年ジジイの私の姿は奇怪で醜悪だった。私は足で畳を蹴るようにしながら後ずさりした。蜘蛛男となった私はずんずん私に這い寄って来た。私は又もや壁際に追いつめられた。
「おまんこして!」と私が私に云った。




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