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08. 地下鉄サブ パート1

宮本三郎(42歳)は箱師であり、業界では地下鉄サブとして知られていた。箱師とは主に電車など近距離の交通機関の中でスリを働く者のことで、長距離列車に乗り込んで仕事をする長箱師と区別されている。スリの要件は1) 機敏で、2) 度胸があり、3) 頭が良いことだ。スリ係刑事の目をかすめてカモ(被害者)が油断した一瞬に掏るためには、タイミングを見極め機敏に行動する必要がある。泥棒や置き引きと異なり、カモの懐ろ(の財布)と直接接触をするのだから度胸は必須である。そして、見破られる危険を感じ取ったり、咄嗟に機転を利かして逃げ切り、現金だけ抜き取った財布を手際よく処分するには頭が良くなくてはならない。誰にでも出来るという職業ではなかった。若い時からの修練も欠かせない。血の滲むような努力があってこそ初めて、指先の芸術のような磨かれた手練が発揮出来るのである。

地下鉄サブは日本人の平均的体型で、どちらかと云えば痩せ型に入る。女殺し風の顔ではなく、身につけるものも地味で、風采が上がらない中年男の典型であったが、それは実はスリにもってこいの外見であった。スリは人混みの中で目についてはいけないのだ。同じカモを時を経て二度狙っても相手が同一人と気付かないぐらいでなければならない。

地下鉄サブは三回ほど刑務所行きになったことがあるが、それは若い頃の話であり、最近は巧みにスリ係刑事の目を逃れて安穏に商い(スリ)をしていた。しかし、その地下鉄サブの生活に転機が訪れようとしていた。息子の勇太君(18歳)と娘の美咲ちゃん(16歳)が、どちらも箱師になりたいと云い出したのだ。勇太君はイケメンの若者、美咲ちゃんは長髪、美人系の可愛い娘。子供たちの希望を聞いた地下鉄サブは愕然とした。彼は息子も娘も大学にやり、堅気の生活をさせようと考えていたのだ。スリという職業は金を持っているカモを見分ける眼力さえあれば、がっぽがっぽ現金収入がある。地下鉄サブの家はアパートでも公団住宅でもなく、立派な一軒家だったし、結構贅沢な暮しをしていた。それがいけなかったのかも知れない。息子と娘に、大学へなんか行かなくたって裕福な暮しが出来ると思わせてしまったようだ。地下鉄サブは、息子と娘を翻意させるべく、スリのトレーニングを課すことにした。それに落第したらスリになるのを諦めさせるのだ。

地下鉄サブは40歳を過ぎてもトレーニングを欠かさなかった。何しろピアニストやヴァイオリニストと同じように、日々修練していなければ腕が落ちる。腕が落ちればカモに見つかって騒がれ、乗客多数に押え込まれてブタ箱行き、窃盗罪で三年近く臭い飯を喰うことになる。スリに定年はない。80歳を過ぎた現役スリが多数存在するのは、読者もニュース等で御存知の筈だ。

スリの練習法には次のようなものがある。
1. 洋裁用のダミー 人体と同じサイズの上半身だけの胴体を天井から吊るす。これに背広などを着せ、ダミーを動かさずに内ポケットの財布を抜き取る。
2. テープルに椅子を乗せ、その背に服を掛け、ポケットの財布を掏る。
3. 天井から背広を掛けた衣服ハンガーを吊るして、財布を抜く。
以上の練習で使う背広のポケットには全て鈴が縫い付けてあり、それを鳴らさずに財布を頂戴するのが条件である。

なお、地下鉄サブの練習道具には、家具と家具の上に棒を渡し、それにいくつかの吊り革をぶら下げたものもあった。カモ役の人物にこれに掴まって貰い、その体勢の服から財布を抜き取るのである。電車の中で両手を垂らして立っている人間はまずいないし、片手を上げて吊り革に掴まっているカモほど協力的な獲物はなかった。もし、スリが両手で吊り革に掴まっている男を見たりしたら、盗む前からその男の財布は自分のもののように感じてしまうだろう。

スリには単独で行動する者もいるが、二人組、三人組の方がずっと仕事がしやすい。掏り役が金を持っていそうなカモを見つけると、ダチ(相棒)に目や表情で合図する。ダチは掏り役が仕事をしやすいようにカモを自分の背中や肩で押して、掏り役にとって好都合な態勢に持ち込み、掏り役の手の動きを隠すため新聞や週刊誌などをカモの前に広げる。一説には掏り役よりも、このダチの役目の方が難しいとも云われている。仕事を終えた掏り役は、通り過ぎる風を装って近づいて来た“吸い”と呼ばれる三人目の仲間に素早く財布を渡す。“吸い”役は可及的速やかに現場を離れ、現金だけ抜き取って財布はゴミ箱等に捨ててしまう。現行犯が成立するのは、スリの手が他人のポケットに入っている状態か、掏りとった財布がスリの手にある間だけである。掏り役が掏った財布を所持しようとせず、“吸い”役が証拠隠滅を急ぐのは上のような理由からだ。地下鉄サブはこれら全てを一人で行って来たのだが、名人だからこそ出来たのであって、“吸い”役がいないということは現行犯逮捕の証拠となる財布の所持時間が長く、非常に危険であった。

しかし、複数で組んでいても常にこれらの役割が一定しているわけではない。場所や日によってダチ(相棒)が掏り役になることもあれば、“吸い”役が掏り役になることもある。だから掏るテクニックは誰にとっても基本であった。

夏休み、勇太君と美咲ちゃんのトレーニングが開始された。夫が仕事に出ている間、子供たちのお母さん(36歳)は縫い物や台所仕事をしながら耳を澄ませていた。お母さんは長い髪、こじんまりした顔に大きな目が魅力的な熟女。練習用背広のポケットにつけられた鈴は、子供たちが練習する間、絶え間なくちりんちりんと音を立てた。子供たちに正業に就いて貰いたいお母さんは、その鈴の音が鳴り止まないことを願っていた。鳴り止まなければ子供たちはスリの道を諦め、否応なく高校・大学進学を考えなくてはならないからだ。勉強嫌いの勇太君と美咲ちゃんは、宿題などほったらかしの背水の陣でトレーニングに励んだ。

財布を抜き取る際、スリの掌はカモの身体の方を向く。財布がポケットの中で横になって引っ掛かっているようだと、それを先ず縦にしなければならない。そうしておいて財布を抜き取るのだが、その指の形には二通りある。親指を折って中指と薬指で財布を挟んで釣り上げる方法と、親指・薬指・小指を折って人差し指と中指で財布を挟む方法だ。どちらを選ぶかは指の長さで決まり、薬指より人差し指の方が長い勇太君と美咲ちゃんは、二人とも後者を用いた。

お母さんの祈りも空しく、ある日、鈴の音は鳴り止んだ。地下鉄サブは勇太君と美咲ちゃんに新しい課題を与えた。勇太君に背広を着せ、その内ポケットから美咲ちゃんが財布を抜くのだ。勇太君は片手で吊り革にぶら下がり、片手で鞄をぶら下げる。これは難なくうまく行った。二人は役割を交代し、勇太君が妹が着た背広から財布を掏る番になった。
「いやーん!すけべ!」美咲ちゃんが怒鳴った。
「おれ、何もしてないよ」勇太君が抗議した。
「何なんだ、一体!」地下鉄サブが問いかける。
「お兄ちゃん、あたしのおっぱい触るんだもん!」美咲ちゃんが告発する。
「おっぱいって、お前まだおっぱい出てないだろうが?」と地下鉄サブ。
「出てるもん。着痩せするだけでちゃんと膨らみ始めてるもん」美咲ちゃんが云い張る。
「そうなの」見物していたお母さんが証言する。「ちゃんと出てますよ」
「だからって騒ぐな。真面目にやれ!」地下鉄サブが命じた。

「きゃああ!」またもや兄におっぱいを触られた美咲ちゃんが叫ぶ。
「勇太。お前には無理だ。モサ(スリ)になるのは諦めろ」と地下鉄サブ。
「美咲が感じやす過ぎるんだよ。おれのせいじゃないよ」勇太君が弁解する。
「じゃ、母さん、あんたカモになってくれ」と地下鉄サブ。
「あいよ」お母さんが立ち上がり、背広を着て吊り革に掴まる。
勇太君がお母さんの隣りに立ち、週刊誌を広げる。
「あはーんっ!」お母さんが叫んだ。
「何だ、今度は!」地下鉄サブが苛々する。
「勇太におっぱい触られて…」とお母さん。
「お前、気持ち良さそうな声だったぞ?」地下鉄サブが咎める。
「済みません」お母さんがしゅんとなる。
「美咲、背広を着てみろ」地下鉄サブが立ち上がる。
背広を着て立った美咲ちゃんに地下鉄サブがすっと近寄って目にも留まらずに財布を掏ったかと見えた瞬間、
「あはーんっ!」美咲ちゃんが感じた。
「ほら、美咲が感じやす過ぎるんだってば」勇太君が云った。
地下鉄サブは渋々息子の云い分を認めた。

「なんで背広ばっかなの?女のハンドバッグは狙わないの?」勇太君が聞いた。
「ハンドバッグは内ポケットに較べればベラボーに簡単だ。しかし、本当のモサ(掏摸)は女や身体の不自由な人間からは盗まないもんだ」と昔気質の地下鉄サブ。「若い男からも盗まない。奴らは金を持ってないからな。金を持ってるのは年配の男と相場が決まっている。年配の男は反応も鈍い。だから背広ばっかりでいいのさ」
「お父さん?お尻のポケットに入った財布を掏るのは?」と美咲ちゃん。
「ケツパーか。あんな『盗って下さい』と頼んでるようなもん盗るのはトーシロにだって出来る。練習する必要はない」パーとは財布を指す隠語で、ケツパーは尻ポケットに入った財布を指す。

地下鉄サブは子供たちにさらに高度な課題を与えた。カモ役に背広のボタンをはめさせ、その上からコートを着せるのだ。勇太君と美咲ちゃんはカモのコートを開き、背広のボタンを外して財布を掏らねばならない。これを業界では「バッチ外し」と呼ぶ。掏った財布から札だけを頂戴し、財布を元に戻すのは「中抜き」である。父親が仕事に出ている間、兄妹は交代でカモ役となって背広とコートを着た。夏でもこんなことが出来るのは、この家がエアコン完備だからである。「バッチ外し」も「中抜き」も、単に財布を掏るよりは時間がかかる。自然、勇太君の手は妹の胸の前でもぞもぞ動くことになる。
「あっはーん、やーんっ!」美咲ちゃんがおっぱいの刺激を感じてしまう。
「母(かあ)さーん!美咲じゃ駄目だ。代わってくんない?」勇太君が怒鳴る。
「あたしでも同じじゃない?」お母さんがエプロンで手を拭きながら来てくれて、背広とコートを着る。
勇太君がお母さんに擦り寄り、「バッチ外し」を行う。
「あへーっ!」お母さんがよがった。
(こりゃ駄目だ。うちの女たちは敏感過ぎる)そう思った勇太君は、絶望的にお母さんのブラウスを「バッチ外し」し、ブラジャーをずり上げておっぱいを揉んだ。
「ひーっ!」お母さんが逃げようとするが、勇太君に身体を抱かれていて逃げられない。
「お兄ちゃん、何すんの!やめなさいっ!」美咲ちゃんが兄の狂ったような行動を止めようとする。
「馬鹿っ!」お母さんが勇太君にびんたを食らわせた。
勇太君が驚いてお母さんを離す。お母さんはそそくさと台所に消えた。

「お兄ちゃん?」美咲ちゃんが兄の顔を覗き込みながら云った。「あたしらに“仕事”を感づかれたから頭に来たの?」
「まあな。だけど、お前ら、敏感過ぎんだ。うまく行くわけねえよ」勇太君が愚痴る。
「でも、あんなことしてお父さんに勘当されるわよ?どーすんの?」美咲ちゃんが心配する。
「どーするって、一人でモサ(掏摸)で食ってくしきゃねーだろ」と勇太君。
「今のレベルじゃ、現行犯逮捕で臭い飯食うのがオチよ?」美咲ちゃんが脅す。
「あ、まだいたわね。よかった」お母さんが入って来た。
勇太君はくどくど小言を云われることを覚悟して身体を固くしている。
「勇太、もう一度やってみて?」お母さんが背広とコートを着る。
「え?おれ?」叱られずにほっとした勇太君だったが、「バッチ外し」再挑戦を迫られて緊張した。

お母さんが吊り革に掴まる。美咲ちゃんが見守る。勇太君が『ビッグコミック』を手に、お母さんの前に立つ。数秒後、勇太君が掏り盗った財布を無言で美咲ちゃんに振ってみせた。
「やったあ!お兄ちゃん、凄い!」美咲ちゃんがパチパチと拍手する。
「でも、不思議だ。さっきとどう違うの?」勇太君がお母さんに尋ねる。
「乳首にガムテープ貼ったの。だから、感じなくなったってわけ」とお母さん。
「あ、乳首パッチと同じね?ノーブラの時つけるやつ」と美咲ちゃん。
「へえ?そんな便利なものがあんの?」お母さんが驚く。
「カモは年配の男だから、相当鈍いよね?大丈夫だよね?」勇太君がお母さんに云う。
「そうよ。じゃ、今度は『中抜き』やってご覧?」お母さんが云った。

その夜、勇太君の部屋にお母さんがやって来た。
「勇太?今日は叩いたりしてご免」お母さんが云った。
「そんな!おれの方こそ…」勇太君が謝ろうとする。
「お前に触られてゾクゾクしちゃってさ。美咲の前で恥ずかしくなったもんだから、反射的にお前を叩いちゃって…」お母さんが顔を赤らめる。
「叩かれて当然だよ。おれこそご免」と勇太君。
「勇太?もう一度触っておくれ?」お母さんが思い詰めたように云った。
「え?」勇太君が面食らう。「本気なの?からかってるんじゃない?」
「からかってなんかない。今度はガムテープなし」とお母さん。「さ、バッチ外しとブラ外し、やってご覧?」
勇太君はちらと父親の顔を思い浮かべた。知られたら今度こそ勘当だろう。「母さん、おれ恐いよ」
「父さんには内緒。美咲にも。さ?」お母さんが息子に接近する。
勇太君が微かに震える手でお母さんのブラウスのボタンを外し、手をお母さんの背に廻してブラジャーも外す。真っ白く大きな乳房がぼろんぼろんとこぼれ出て、目映いほどである。勇太君は目を丸くして母親のおっぱいを見つめ、ごくりと唾を飲む。憑かれたように勇太君は背を屈め、お母さんの乳房に吸い付いて乳首をちゅうちゅう吸う。片方の乳房をまさぐり、圧したり揉んだりする。
「あああーっ!」お母さんが溜め息をつく。

勇太君にとっては成長してから初めて味わう乳房であった。興奮して頭に血が上り、手が震えた。相手は母親だというのにペニスまで勃起を始めた。勇太君はおっぱいから口を離し、背を伸ばした。片手でお母さんを抱き、片手で乳房を揉みまくる。お母さんはうっとりと目を閉じ、口を半開きにして胸の快感を貪っている。勇太君はお母さんの口に吸い付いた。
「ぐぶっ!」口を塞がれたお母さんが、手を息子の胸にかけて押しのけようとする。
勇太君はお母さんの口に舌を差し込み、世に云うフレンチ・キスを試みた。舌でお母さんの舌を舐め廻す。
お母さんはいっとき身体を強ばらせたが、息子との禁断のキスに恍惚となる。自分が産み落とした子供との男と女のキス。破廉恥である。しかし、母親として成長した息子との性的接触は嬉しく誇らしくもあった。失神しそうなほどの興奮に痺れる。
勇太君は勃起したペニスで、スカート越しにお母さんの下半身を突ついた。
お母さんは息子の欲望を察知した。(このままでは犯される!)お母さんはズボンの上から息子のペニスをギューッと握り締めた。
「イデデデ!」勇太君が呻いた。
「これは駄目!」お母さんは息子の手を逃れ、くるりときびすを返して出て行った。

地下鉄サブはお母さんをカモ役にして立たせ、自分と息子と娘で役割を換えながら演習を行った。掏り役、ダチ(相棒)、吸い役である。子供たちは新米なので、彼らは主にダチと吸いの役目を担当した。

ある日、地下鉄サブは勇太君と美咲ちゃんを屋外訓練に連れ出した。地下鉄サブの仕事場は銀座線である。三人は固まって一つの車両の乗客たちを観察し、次の駅で降りて話し合った。勇太君と美咲ちゃんは、自分たちが目を付けたカモが乗っていた場所と人相風体を父親に告げる。地下鉄サブは二人の観察と直観が正しいかどうか採点する。これを一駅毎に行った。
「いいか?カモの油断につけ込むんだ」地下鉄サブが講義した。「連中が車内広告に気をとられていたり、誰かと話し込んでいれば楽勝だ。こっちが無理をする必要は全くない。車内アナウンスが始まった直後も客の神経は耳に集中するので仕事し易い。美人の周りに立っている客もぽーっとなってるからいいカモだ」
「へ、そーなんだ」美咲ちゃんが感心する。
「美咲、お前がダチになったら、胸や尻をカモの身体に押し付けろ。カモはラッキーって有頂天になるから、簡単に掏れる。これを“引っ掛け”と呼ぶ」と地下鉄サブ。
「女の武器ね」と美咲ちゃん。
「お前のおっぱいはまだ武器になってねえけどな」と勇太君。
「このーっ!ぶつよ?」美咲ちゃんがげんこつを振り回す。

新橋駅を発車したばかりのことだ。地下鉄サブは息子と娘に囁いた。「おう、商売敵がいるぞ。あのごま塩頭が掏り役、鳥打ち帽がダチ、ちょっと離れた野球帽が吸いだ。よく見てろ」
勇太君と美咲ちゃんは初めてスリの仕事の現場に立ち会うことになった。自分のことのように胸がどきどきする。よくわからないうちに野球帽が次の駅で降りるように乗降口に近づき、停車すると素早く消えた。ごま塩と鳥打ち帽はゆっくりと下車して行った。
「あーっ!財布がない!掏られたーっ!」客の一人が叫び声を挙げた。
そこへ痩せた黒い背広上下の、目の鋭い男がやって来て、被害者に色々聞き始めた。
「やべえ。次の箱(車両)に移ろう」地下鉄サブが云い、三人はぞろぞろ次の車両に向い、次の駅で降りた。
「何なの?どうしたの?」美咲ちゃんが父親に聞く。
「あの黒い背広の野郎はスリ係のデカだ」地下鉄サブが云った。「倉徳(くらどく)って名で、おれを目の敵にしてやがる。『いつかお前をムショにぶち込んでやる』て息巻いてやがるんだ」
「へえ?父さんの天敵か」と勇太君。
「ホームや電車の中で指の運動をするんじゃないぞ」と地下鉄サブ。「『おれはスリです』って宣伝してるようなもんで、デカに目を付けられるからな」

この日、美咲ちゃんは買い物をして行きたいと云い、銀座駅で下車した。地下鉄サブと勇太君だけ訓練を継続した。
「勇太。お前、セックスしたいか?」突然、地下鉄サブが息子に聞いた。
「な、何だよ父さん、いきなり」勇太君がおどおどする。「やりたいに決まってるでしょーが」
「よし、お前にチャンスを与える。お前がやりたい女がいたら、教えろ」と地下鉄サブ。
「えー?ほんとにー?」勇太君は興奮して車内をきょろきょろした。「あの『週刊新潮』の吊り広告の下のピンクの女性」
「あれは若過ぎる。年増を選べ」と地下鉄サブ。
「んー、じゃ、あの乗降口近くの和服のおばさん」と勇太君。
「おー、あれならよさそうだ。ここで待ってろ」そう云って地下鉄サブは静かに移動して、和服の女性に近づいた。
電車は上野を過ぎ、浅草に近づく。乗降口に客が押し寄せた。仕事を終えた地下鉄サブが勇太君を手招きし、二人で一緒に電車を降りた。
「女からは掏らないんじゃなかったの?」と勇太君。
「掏らないとは云わなかったぞ?盗まないと云ったんだ」地下鉄サブが女から掏った財布を調べながら云う。財布には万札が十枚以上入っていた。
「でも盗んだじゃない?」勇太君が問い質す。
「盗んでない。これは返すんだ」と、駅を出て歩きながら地下鉄サブが云った。
「えーっ?」勇太君が目を白黒させた。

「掏ったものを返すのを“投げ込み”と云う。おれたちはこの財布の女の家に向ってるんだ」と地下鉄サブ。
「えーっ?いいのー、そんなことして?」勇太君がビビる。
「いいか?お前は『童貞なんです』ってそれだけ云ってりゃいい」
「えーっ?そんなーっ」勇太君が顔を赤くする。
地下鉄サブは一軒の家の前に着いた。表札はない。妾宅かも知れない。地下鉄サブが玄関の呼び鈴を押した。
「どなた?」ややあって女の声がした。
「ごめん下さい。お届けものに上がりました」と地下鉄サブ。
「お届けもの?」女は贈り物や届け物に弱い。がしゃがしゃと戸締まりを外す音がして、玄関の戸が開いた。「あら?」浅草で地下鉄を降りた女が顔を覗かせ、見知らぬ中年男と若者の組み合わせに面食らった。女は40歳近いが、元芸者か何かのように色っぽい顔立ちをしている。
「浅草駅の近くでこれを拾ったんです。失礼だとは思いましたが、中を見たらこちらの住所があったんでお届けに上がりました」地下鉄サブが財布を女に渡す。
「あらっ、まあっ!掏られたと思って青ざめてたとこなんですよ。んまあっ!」女が中をあらためる。現金、数枚のクレディット・カード、免許証、病院の診察カード、ディスカウント・カードなど、全部そっくり揃っている。「まあ、助かるわー!これみんな再発行して貰うって大変なんですもん」女が大喜びする。
「では、私どもはこれで」地下鉄サブが一礼した。勇太君も軽く会釈した。
「そんなっ!」女が地下鉄サブを引き止めた。「ちょっと上がって下さいな。冷たいものでも飲んでって下さい」
「いえいえ、どうぞお構いなく」と地下鉄サブ。
「気持ちですから、どうぞ。ね?」女は地下鉄サブを離さない。

地下鉄サブと勇太君は女の家の茶の間に請じ入れられた。女は地下鉄サブに冷たいビールを、勇太君にはコークの瓶を持って来て、それぞれをコップに注いだ。
「まあねえ、義理も人情もなくなった荒(すさ)んだ世の中だと思ってましたけど、お宅さん達みたいな気持ちのいい人達もまだいるんですねえ」女が、惚れ惚れした顔で二人に向って云う。
「いえなに、警察に届けてもよかったんですが、この先に用事があって行くとこなんで、ついでですから…」地下鉄サブが云い、「どうですか、姐さんも一杯?」とビール瓶を差し出す。
「あら?そーね、じゃ、あたしも頂いちゃおうかしら」女はコップを取りに行って、新たなビール瓶も持って戻って来た。
地下鉄サブが女にビールを注ぐ。女が地下鉄サブの善行を褒め、地下鉄サブが謙遜するやりとりが延々と続く。空のビール瓶も増えた。
「姐さん、どうもゴチになりやして。そろそろ失礼しやす」地下鉄サブが正座して頭を下げる。
「あら、もうお帰り?まだいいじゃありませんか」と女。
「いえ、充分頂きましたんで」と地下鉄サブ。
「そうですか?じゃ、これホンの気持ちですけど…」女が帯の間から祝儀袋を取り出す。万札二枚ほどが畳まれた厚さである。
「いえ、とんでもない!ビールだけで充分で」地下鉄サブが袋を押し返す。
「そんな!あたしの気持ちはどうなるんです?まるで礼儀知らずみたいじゃありませんか!」女がむっとする。

「だったら姐さん、こっちからお願いがあるんですが…」地下鉄サブがおずおずと云う。
「なんざんしょ?」と女。
「粋な姐さんと見込んでのこってすが、この倅にどうやったら女にもてるか教えてやってくれませんか?何せ童貞だし、引っ込み思案の方なんで」と地下鉄サブ。
「へー、童貞?お兄さん、女知らないの?」女がまじまじと勇太君を見る。
「ハイ」勇太君が掠れた声で云う。
「勇太、姐さんによく教われ。いいな?姐さん、じゃ、あっしはこれで」
「そうですか?お構いもしませんで」女が玄関で地下鉄サブを見送り、茶の間へ引っ返すと、帯を解き始めた。「お兄さん、童貞なの。ふーん?」女がにんまり笑った。
この日、勇太君は童貞を喪失した。勇太君は頻繁に“投げ込み”をやりたいと思った。

その夜、勇太君の部屋にお母さんがまた忍んで来た。母と子はディープ・キスをし、子は母の乳房をまさぐった。
「母さん?」と勇太君。「おれ、今日童貞失った」
「えーっ?女買ったのかい?ソープ?父さんが連れてったの?」お母さんが矢継ぎ早に聞く。
「そんなこと、どうだっていいだろ。母さんもやらして?」勇太君はお母さんのお尻を撫でていた手を、お母さんの股ぐらに移す。
「駄目だって!そこ触っちゃ!」お母さんが腰をもぞもぞ振る。
「母さんとやりたいんだ。ねえ!ねえったら!」勇太君がお母さんの頬や鼻や顎や耳や首にキスの雨を降らす。
「母さんだってやりたいよ。父さん、ずっと構ってくれないんだからね」お母さんが告白した。
「ほんと?だったら丁度いいじゃない?やろうよ!」勇太君が誘惑する。
「でもねえ。父さんに知れたら二人ともこの家(うち)追ん出されちゃうよ。駄目よ」お母さんが辛そうに云う。
「追ん出されたら、おれが稼ぐからさ。親子でおまんこしながら仲良く暮らそうよ」
「そんな夢みたいなこと云って…」お母さんは後ろ髪引かれる思いで出て行った。

「今日はちょっと変わった稽古しない?」ある日、勇太君が云った。一家全員が揃っている。「父さんがカモで、おれが掏り役、美咲がダチ。どう?」
「おれの採点は辛いぞ?」と云いつつ、地下鉄サブが財布の入った背広を着込んで吊り革にぶら下がる。
勇太君が『週刊文春』片手にカモの父親に近づく。美咲ちゃんが(この間教わったように)お尻で父親の身体を押し、兄の仕事を助ける。地下鉄サブはわざと身動きしたり空いている手でポケットを押さえたりして息子を焦らす。美咲ちゃんは誰かに押された振りをして向きを変え、父親の腕におっぱいを押し付ける。“引っ掛け”である。地下鉄サブは娘の胸の膨らみを感じ、どきっとしてしまう。
「きゃあ!お父さん、やーだーっ!」突如美咲ちゃんが叫んだ。
「なに?どうしたの、美咲?」見物していたお母さんが尋ねる。
「だって、お父さんったら、固いお珍々であたしを突つくんだもん!」と美咲ちゃん。
「あんたっ!それほんとっ?」お母さんが詰問する。
「美咲、お前好い線行ってるぜ」コーチである父親がぼーっとなった隙に掏った財布をひらひらさせながら、勇太君が云った。
「あんたったら、あたしに立たないで美咲に立つなんて…」お母さんが悔し泣きする。
「…」地下鉄サブは面目を失って無言で立ち尽くしていた。




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