6. ロリ懇談会
茂君の部屋で叔父さんと浩二君、茂君が話している。
「叔父さん、“ロリコン”ってどういう意味?どんな語源?」と茂君。
「わいは意味は知っとるが、いわれは知らへん。浩二、どや?」
「ロシア出身の作家にナボコフという人がいて、『ロリータ』というベストセラーを生み出し、映画にもなった。初老の大学教授がロー・ティーンを愛してしまい、最後に破滅するという筋。“ロリコン”は“ロリータ・コンプレックス”の略で、そういう風に大人が少女を偏愛する傾向を指すんだ」
「じゃあ、ぼくみたいに未成年が少女を好きになるのは異常なの?」
「異常かどうか、わいは知らんが、茂君が6歳の子に惹かれたら、9歳年下ちゅうことや。わいに当てはめれば46歳の女性に惹かれるのと同じちゅうわけや。別に不思議はないけどな」
「しかし」と浩二君。「自分の年齢の半分以下というと、どうですかね」
「わいやったら24歳の女性やで。珍しくもないがな」
「ナボコフの小説では少女は12歳として描かれてたそうです。しかし、映画化する時、『おっぱいも出てない女性を性の対象にしている』と非難されることを恐れ、監督は少女を14歳に変更し、おっぱいも出ている女優を選んだんだそうです。ですから、本来はおっぱいの出ていない女の子をロリータと呼ぶべきで、そういう子供を愛するのがロリコンなんでしょうね」と浩二君。
「12歳やったら概ね生理もあらへん。つまり、セックスしても生殖ではないわけや。子供を作ることはでけへんのやから」
「子供なんだから、子供作ったらおかしいよ」と茂君。
「ははは。そらそうや」
「我々の性の欲望が生殖本能に根差しているものとすると」と浩二君。「ロリータ願望はその本能に反しているわけですね。12歳以下の少女を愛するのは、誰もみな異常なんでしょうか?」
「おい、ギリシアの哲学者の間では少年愛ちゅうもんがあったそうや。いまで云うホモやが、男同士愛し合うという真剣なもんやのうて、ちょいとつまみぐいする程度やな。これかて、少年の肛門攻めるわけやから生殖やない。日本で云えば、織田信長や。小姓の森蘭丸とやってたそうやで」
「ホモって歴史古いんだねえ」と茂君。
「少女愛、あるいは少年愛はヨーロッパではかなり盛んみたいだね。そういう伝統があるから、あまり問題にならないのかも知れない」と浩二君。
「最近、日本の少女買春ツァーが叩かれとるな。タイなどへ行き、少女売春婦とやって来るらしいが、向こうの警察に捕まって有罪となったら、何と20年刑務所行きやそうな」と叔父さん。
「20年ですか!」と浩二君。「一時間くらいの快楽で、20年棒に振るとは恐ろしいですねえ」
「ここがタイなら幸ちゃんとやって20年、早苗ちゃんとやって20年、ほかにも余罪があるよって、わいは刑務所内であの世行きや」
「ぼくその早苗ちゃんとまだやってないよ。誰か紹介して下さい」と浩二君。
「浩二さんは中年でもないのに、どうしてロリコンなのさ?」
「うーむ、あまり考えたことなかったけど、先ず第一に相手が子供だから気楽だよね。大人の女性だと気を使ったり、お世辞云ったりしなきゃならないけど、子供相手なら簡単じゃない?彼女たちの無力さが、ぼくらの父性愛をくすぐり、可愛がって上げたい、保護して上げたいという気にさせる要素もある。それから、おっぱいが出てない、恥毛も生えてないってのは、中性的魅力ってのかな。上半身は少年。で、やりたくなればちゃんとおまんこを備えている。つまり、一粒で二度おいしいって感じ」
「わいぐらいの年になるとやな、もう相手は若ければ若いほどええねん。こっちが冥土に近づけば近づくほど、若さってものが貴重で羨ましくなる。10歳の子にはあと80年も未来がある、5歳の子には85年も未来がある。その未来とセックスする感じや。正直云うと、未完成な幼い身体に自分の烙印を押したいいう利己的な考えもある。生乾きのセメントに自分の名前刻むようなもんや」
「ふーん、色々考え方があるんだね。ぼくなんかさあ、お母ちゃんのおまんこも好きだけど、幸とかだとすごく締まってるでしょ、あれがいいんだよね」
「そら、そうや。子供生んでへんおまんこは当然締まってる。わいも幸ちゃんとやる時はそれが目当てや。しかし、セックスちゅうもんはおまんこだけやないで」
「そう、純子先生みたいな巨乳の悦びもあれば、麗奈みたいに美女とやってるって満足感もあるし、お祖母ちゃんみたいに熟し切った女体もいいし」と浩二君。
「年齢じゃないってことだね?」と茂君。
「それと個性だね。若くても熟女でも、みんな個性がある」と浩二君。「その年齢に至るまで、ずっと生きて来た年輪がある。20年なり50年なり、彼女たちが生きて来た歴史がある。その裏には、彼女らを手塩にかけて育てて来たご両親の愛がある。彼女たちだって一人で生きて来たわけじゃないからね。数十年経って、いよいよ熟した彼女とセックスする時、その数十年の過去を考えないわけにはいかない」
「それが“愛”ちゅうもんやないか?」と叔父さん。
「そうでしょう。相手の存在を認め、尊重する」
「『幸多かれと祈る』ちゅうわけや」
「10歳以下の子供にはそういう歴史も過去も、ひょっとしたらまだ目立つような個性もないかも知れない」と茂君。「だと、子供は愛の対象にならないわけ?」
「広義の愛の対象にはなるけど」と浩二君。「文字通り未熟なわけだから、セックス・パートナーとしてはあまり味わいはないということになるね」
「でも、そうは云っても少女とやりたがる男は一杯いるわけでしょ?」
「そう」と浩二君。「外でやると犯罪になるというんで、自分の幼い娘を強姦する父親が出て来ちゃう」
「12歳以下やったら判断力ないよってな、可愛がられてるのか犯されてるのか分らんという場合もあるやろ。単に父親の性のはけ口にされてるというケースも多いやろな」と叔父さん。
「アメリカには多いらしいですよ、そういうの」と浩二君。
「で、この家のロリータ環境はどういうことになるわけ?」
「最高や」と叔父さん。「ここのロリータたちは、みなやるのが好きなんや。いやいややっとる少女おらへん。自由意志や。セックスに溺れとるわけやなし、勉強もでける。わいらとの関係によって、彼女たちも成長する。間違っとるかいな、浩二?」
「間違ってないと思いますよ」
「じゃあ、後ろめたい思いしないでいいんだね?ああ、急にロリータとやりたくなった」と茂君。
「さっき、幸ちゃんとこへ早苗ちゃん来とったな。しかし、男三人にロリータ二人じゃ、数が合わんな」
「心配しないでいいよ。ぼく、典子ちゃん呼ぶから」
「誰や、典子ちゃんて。わい、知らんで」
「健のお姉ちゃん。13歳で、すごく可愛いの!」
「茂君、わいに典子ちゃん紹介してえな。頼むわ」
「茂君、ぼくも!」と浩二君。
「じゃ、ここで6人でやるか!」と茂君。
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