6. 桃の木は残った
下宿周辺に市街地再開発の計画が持ち上がった。公的計画ではなく、大手「森ビル」を猛追する「林ビル」の商業的計画だった。林ビルは、この辺の平屋住宅と中小商店街をぶっつぶして、一大ショッピングセンターを建築しようとしていた。
こういう場合によくとられる手段は、一戸ずつ住宅や商店を買い取り、住民を立ち退かせ、じわじわと周辺をゴースト・タウン化してしまう方法である。これだと動きたくない住民、あるいはゴネ得を目論む地主も困ってしまう。地域は陸の孤島となり、荒れ、不用心で、とてもコミュニティとは云えない状況になってしまうからだ。
しかし、林ビルは上のような手段をとらなかった。何故なら、未亡人下宿と南米の伯父さんが購入した裏の広大な空き地は、この再開発の中枢とも云える場所にあり、万が一下宿+空き地が手に入らない場合、他の土地建物はゴミ同然でしかなく、莫大な損害となってしまうからだった。そこで、林ビルはずばり核心である下宿と裏の土地の売却交渉を優先させた。
当初は慇懃な紳士風ビジネスマンたちが交渉に来た。おばさんに土地を売る意志がないと見てとると、今度は慇懃無礼な不動産屋風の人間たちが現われた。彼らも失敗すると、今度は入れ墨があったり小指が無かったりする連中が登場した。彼らは脅すだけでなく、あからさまな嫌がらせを開始した。門前に粗大ゴミだの生ゴミだのを撒き散らし、公然と界隈をのし歩き、付近の住民を恐がらせた。
「柳生一族の手を借りようか?」と幸ちゃん。「あたし、あのお爺さんに頼めるよ」
「今度は陰毛でどうこう出来る問題やないで」と叔父さん。「それに柳生とヤクザじゃ格が違うわ。喧嘩なんぞしてくれんやろ」
茂君の頭に電気ショックが走った。茂君にはヤクザに知り合いがいたのだ。
「あのー、樹里(じゅり)さんですか?」茂君が電話した。「実はこういうわけなんですが、お兄さんのお力を借りることは出来ないでしょうか?」【『前戯なき戦い』参照】
「分ったわ。兄に話してみる。明日まで待って」
樹里さんは関東更生会桃組を束ねる親分の妹だった。この兄さんは妹を愛して肉体関係を迫ったため、樹里さんは長い逃亡生活を送った。ひょんなことで樹里さんは茂君と出会い、近親相姦も悪いものではないということを茂君から教わり、兄の懐へ戻る決意をしたのだった。樹里さんの兄さんにとって、茂君はいわば“恩人”だった。
翌朝、豪華な黒塗りのリムジンが下宿の前に到着した。数台の、これまた黒塗りの乗用車が続いてやって来た。その車からバラバラと男たちが飛び出し、門前のあちこちに散らばって警戒体制を敷いた。リムジンから長身の男がゆっくりと現われた。サングラス、スーツ、靴に至るまで黒ずくめであるが、唯一ネクタイだけがカラー・コーディネーションを無視して桃色だった。男の顔には幾筋かの縫合の後があり、数々の修羅場をくぐり抜けて来た経験を物語っていた。男は静かに下宿の玄関に立った。
「御免下さい」男が云った。
「な、何の用や?」叔父さんが応接に出た。叔父さんは、「林ビル」配下のヤクザが来たと思っている。
「茂さんは御在宅ですか?樹里の兄が来たと取り次いでおくんなせえ」
「しょ、少々お待ちを」叔父さんが引っ込んだ。
茂君は樹里さんの兄さんを茶の間に招じ入れた。そこにはおばさん、幸ちゃん、叔母さん、浩二君、麗奈ちゃんもいた。サングラスを取ったやくざは30代で、どちらかと云えば凛々しい顔立ちだったが、何本かの切り傷の痕が凄みを加えている。
「お初におめにかかりやす。樹里の兄です」とヤクザが云った。
「あのー」と茂君。「折角だからお名前を教えて下さい」
「いや、それは…」と樹里さんの兄さんがためらう。
「そや。お名前聞かんと話しにくいがな」と叔母さん。怖いもの知らずである。
「名乗ってもいいですが、絶対笑わないと約束しておくんなさい」と樹里さんの兄さん。
「ひとの名前聞いて笑うようなもん、ここにおらへん。なあ?」と叔父さん。みな頷く。
「ほんとでしょうね?では、申し上げやす。あっしの名は桃太郎」
全員呆気に取られた。しばらくの沈黙。ややあって、みな笑いをこらえるのに必死の形相となる。黒ずくめ、切り傷だらけのヤクザとその名前の対比は尋常ではなかった。幸ちゃんはバッと駆け出して、どこか思い切り笑える場所を探しに行ってしまった。
「桃組という名前はそこから来てるんですか?」と茂君。
「いや、組を創立したのが先代の桃蔵で、それで桃組と…」と桃太郎さん。
「樹里さん、お元気ですか?」
「お蔭様で、樹里も幸せに暮らしておりやす。茂さんにはお世話になりやして」桃太郎が頭を下げる。
茂君が林ビルとその手下たちの乱暴・狼藉について説明する。黙って聞いていた桃太郎は、「ちょっとお庭を拝見」と云って出て行く。彼は敷地を見て廻り、一人頷いていたが、やがて携帯電話を取り出し、命令するような口調でどこかに電話した。
「明日、また参りやす。なあに、もう心配なさる必要はありやせん」と桃太郎が云い、子分たちに合図をして、一斉に車に乗り込んで去って行った。
翌日、林ビル配下のちんぴら数名が嫌がらせのゴミ撒き作戦を開始した時、桃太郎たちの車が静々とやって来て停止した。ちんぴらたちは一瞬「警察か?」と思ってぎょっとなったが、それが同業者と分ると安心すると同時に、次に続く暴力沙汰に備えて身構えた。
「どいつが、こん中の頭(かしら)だ?」と桃太郎が聞いた。
「なんだ、手前は?」とちんぴらの中で図体のでかいのが喚く。
「おめえ、どこの組のもんだ」と桃太郎。
「おれたちゃあ泣く子も黙る白組のもんよ。そういうおめえは?」と、ちんぴら。
「おい、帰って林ビルに伝えろ。ここは桃組のシマ(縄張り)だ。手え出すなら、それなりの覚悟をしとけってな」
「抜かせ。ここは白組のシマだぜ。すっこんでろい!」
「ちっと飛び地だが、ここはこんにち只今から桃組のシマだ。帰って貰おうか」
多勢に無勢である。ちんぴらたちはあたふたと駆け去った。
桃太郎は茶の間でおばさんたちに囲まれていた。
「あとで桃組からのプレゼントが届きやす。どうか納めておくんなさい」と桃太郎。
「あたしたちの後ろ盾になって下さるだけで十分です」とおばさん。「プレゼントなんて、とんでもない」
「もう決めたこってすから。それじゃ」と桃太郎が立ち上がる。
「あ、待って!」と麗奈ちゃん。「まだよろしいじゃありませんか」
麗奈ちゃんは、この精悍な無法者とやりたかったのだ。それも、ただの三下ではなく、貫禄ある一家の親分である。麗奈ちゃんにすれば、彼女の華麗な男性遍歴の一齣にしたい重要な要素に思えた。それは叔母さんにとっても、おばさんにとっても、幸ちゃんにとっても同じだった。女性たち四人が桃太郎の脚にすがりつく。
「あっしゃあ、決まった女がおりやす。堪忍しておくんなせえ」と桃太郎。
「桃太郎はん」と叔父さん。「あんはんもどこの誰と噂されるお方やろ。『据え膳食わぬは男の恥』ちゅう言葉もあんのや。ここで、おなご衆の気持を無視しよったら、あんはんの名が廃(すた)るちゃいまっか?」
「うーむ」桃太郎は弱った。桃太郎が茂君の顔を見る。茂君は叔父さんの言葉に同意するように、何度も頷く。女性陣は力の抜けた桃太郎を奥の座敷にいざない、全員裸になって絡み合った。
と、そこへ樹里さんが登場した。
「どうなった?兄は?茂君、兄はどこ?」と樹里さん。
茂君は困った。樹里さんと桃太郎の相姦関係を知っているだけに、最大のまずい局面だった。樹里さんは、男性陣の落ち着かない視線がちらちらと奥の部屋に向けられるのに気付き、襖を開けて踏み込んだ。桃太郎は麗奈ちゃんに乗っかられておまんこし、顔の上にまたがった幸ちゃんのおまんこを舐め、叔母さんとおばさんから乳首を舐められている最中だった。
「あーっ!兄さん、こういうのあり?それも堅気の人たちとやるなんて!」と樹里さん。
「済まねえ。樹里、これも浮世の義理ってもんで…」と桃太郎。
「なーにが浮世の義理よ。私もやるからね。いいわね!」
「仕方ない」桃太郎は情けない声を出す。
樹里さんはババっと衣類を脱ぎ捨て、最近は兄さんだけの目を楽しませていた裸体を曝け出す。茂君、叔父さん、浩二君が駆け寄り、樹里さんに群がった。
二つの部屋の乱交が佳境に入った頃、門前に大型トラックが数台停まり、大勢の法被姿の男たちがバラバラっと降り立った。おばさんたちは「すわ、林組の逆襲!」と青ざめて、おまんこを中断した。
「あれが、あっしらからのプレゼントでさあ」と桃太郎。
クレーン車が、トラックにビニールカバーで覆われていたものを下宿の敷地内に下ろす。それは大きな桃の木だった。
「あれが植わっている限り、どこの組もお宅さんに手を出しやしません。手を出せば全面戦争です」と桃太郎。
以来、「林ビル」の計画はおじゃんになり、誰もこの周辺の再開発を考える者はなくなった。桃の木は元気に根付き、町内の名物となった。
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