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17. 手紙

翌朝、巫女は何事もなかったように明るい顔で朝食を給仕した。
「おめだ(お前さんたち)の着物と服は洗ってやった。夕方までには乾くべ。それまで休んでろ」と巫女。
「そうはいがね。今日も何が手伝う」おまんが云った。
「おめ(お前)はいいおぼご(子)だな。こっちゃのあんつぁも、いいあんつぁだけんど」巫女が卓二の顔を見た。その顔にいやらしさはなく、柔和そのものだった。昨夜の狂ったような性交のしるしなどどこにもない。
「おれ、庭を掃く」とおまん。
「おれは神殿の掃除すっだ」と卓二。
「なんだてまず(あらまあ)、ええわらだ(子供たち)だごど!」巫女は微笑んだ。

仕事は済んだが、午後になっても二人の衣類は乾き切らず、卓二とおまんはしばらく待たなくてはならなかった。
「おまん」縁側に二人で座りながら卓二が云った。
「ん?」とおまん。
「おまん、済まねえ」卓二が謝る。
「なして?」
「ゆんべのごど」卓二は俯いたままである。
「ああ、あれが」とおまん。「犬に噛まれただべ?おれ、気にしねえ」
「ほんて(本当)?許してくれっか?」卓二の顔が明るくなる。
「んでも、巫女さあに噛まれただけでねぐ、途中がら卓二さあが巫女さあば噛んだべ?」
「?」卓二がきょとんとする。
「起ぎ上がって、巫女さあにのしかがって行ったでねが!」おまんが糾弾する。
「申し訳ね。つい、成り行ぎで」卓二がしゅんとなる。

「卓二さあ、母ちゃんとやりでのが?」おまんが聞く。
「え?」卓二はぎょっとなる。
「ゆんべ、『母ちゃん!』って何度も云ったべ。忘れでねど」
「ああ、あの巫女さあがおれの母ちゃんに思えでな」
「母ちゃんとやりでのが?」
「巫女さあとやるまでは、そげなごど考えだごどもねがったどもな」
おまんには、息子が母ちゃんとやりたいなどという気持は理解出来なかった。
「卓二さあとやって母ちゃんは喜ぶがな?」おまんは父とやっていた時、別に嬉しくも何ともなかった。
「す(知)んね。やんだがる(嫌がる)べな、きっと」と卓二。
「そんでも、やりでのが?」おまんは、男が娘でも母親でも見境なくぺっちょしたがるなら、まるで動物と変わりないような気がした。
「母ちゃんはおれば生んでくれだ女だ。その母ちゃんとやったらどげな気持(きもぢ)だべど思ってな。そんだげだ」
「一回でええのが?」とおまん。
「んだ。一回でええ」
おまんは少し安心した。卓二は父・萬造とは違うようだ。

「おれだぢ、むがさり(結婚)しておぼご(子供)出来たとする」とおまん。
「ああ」
「卓二さあ、おれだぢの娘とやりだぐなっかな?」
「えーっ?考えだごどもねな。それはいげねごどだべ?」と卓二。
「母ちゃんとやるのはええごどが?」おまんが追及する。
「んー。普通(ふづう)ではねべな」卓二が一歩退く。
「母ちゃんとやりだがる男は、娘ともやりだがんでねがな?」
「さあ?」
「おれ、卓二さあにはおれだぢの娘とやってほしぐねんだ」おまんが本心を明らかにする。
「わがた。やんね」
「この神社の神様に誓ってけろ」
「うだでやづだな(しつこいやつだな)。誓うだ」卓二は神殿に向って柏手を打つ。
「よし。破ったら、分(わが)ってるべな?」
「ああ、おれのだんべ(摩羅)噛み切るんだべ?桑原桑原」

「あの巫女さあでだども(だけども)」とおまん。「よがりながら息子だぢの名前さ呼んでたべ」
「んだ」
「戦争へ行ぐ前、二人とやったんだべか?」
「えーっ?」だとすれば凄いことだった。「信じらんねな」
「あだな(あんな)優しい顔したばんつぁ(お婆さん)だしな」
「おまん」と卓二。
「ん?」
「おれだぢむがさり(結婚)しておぼご出来たとする」
「え?」おまんが目を白黒させる。
「おめ(お前)、おれだぢの息子とやりだぐなっかな?」
「ほげなすーっ(馬鹿ーっ)!まねこど(人の真似)しやがって!」おまんが卓二に殴り掛かる。
「いでで(痛い)!」

そこへ白い衣に赤い袴の巫女が現われた。
「まあまあ、すんごく楽しそうでねか。着物乾いたど」と巫女。
「あ、えがた。待ってたんだっす」と卓二。
二人は着ていた浴衣を脱いで畳み、自分たちの衣類に着替えた。
「この手紙、持ってげ。酒田さ着いだら多賀屋という米問屋探すだ。おれの娘が若奥様だでな。手紙見せれば、何かごっつぉ(御馳走)してくれるべ」
「なして?」とおまん。
「おめだ(お前たち)、いいわらすだ(子供達)だでな。おれの気持(きもぢ)だ」と巫女。
「ありがどさま!」と卓二。
「あんつぁ!まめ(元気)でな。どうもなぁ〜(ありがとさん)」巫女がひたと卓二の目をみつめる。前夜の性の饗宴への感謝に違いない。「おめ(お前)もだ」巫女はおまんにも声を掛けた。
二人は畳に両手をついてお辞儀した。

おまんと卓二は夜間の行軍を再開した。外灯もない田舎道を懐中電灯も無しで歩くのだから、月明かりだけが頼りである。黒い木影や薮に化け物が潜んでいるように思えることもある。梟が鳴き、蝙蝠(コウモリ)が鼻先をかすめたりもする。一人だけだったら、とても恐くて歩けないだろう。

「おれ、早ぐ酒田さ着ぎてえ」とおまんが云った。
「なして?」と卓二。
「手紙見せれば、巫女さあの娘さんが御馳走(ごっつぉう)してくれるんだべ?」
「んだ」
「おれ、腹いっぺ(一杯)御馳走(ごっつぉう)食いてえだ!」
「んだな。けっと(食えると)ええなあ」
「おれだぢを雇ってくれっかもしんにぇ(知れない)」おまんが楽天的な希望を口にする。
「おめ(お前)がこんもり(子守り)か女中の下働きで、おれが丁稚(でっち)が。悪くねな」と卓二。
「卓二さあが巫女さんとぺっちょしたお蔭で、手紙貰えただ。卓二さあの摩羅の手柄だな」おまんがからかう。
「ほげなす(馬鹿)!」卓二が膨れ面をした。

ふと卓二が立ち止まった。
「どだいした?卓二さあ?」おまんが尋ねる。
「巫女さあの手紙だけどな…」と卓二。
「ん?」
「おれが巫女さあに云った通り、おれだぢの母ちゃんに会いに行ぐって書いてあるだかす(知)んねべ」
「したら?」おまんには意味が分らない。
「酒田におめ(お前)の母ちゃんもおれの母ちゃんもいねえし、第一(でえいち)おれだぢのごと兄妹(きょうでえ)って書いであったらどうすっだ?」
「兄妹(きょうでえ)にされだら、卓二さあに抱いて貰えねな。おら、やんだっ」
「そげなごどより、巫女さあ騙したがらには、何か後ろ暗(ぐれ)えごどあるべって警察に突き出されるだかす(知)んね」
「ほだなごとっ!」おまんが怖がる。
「明るくなったら手紙開けてみっか?」
「んだな」

夜が開けて、卓二は手紙を開いた。筆による達筆な行書体で、カタカナしか読めない卓二にはチンプンカンプンであった。学校へ行っていないおまんはカタカナでさえ読めない。
「どうすべ?」と卓二。「酒田で見せていいもんが悪いもんが、さっぱど(さっぱり)分(わが)らね」
「誰がに読んで貰うんだな。酒田さ着ぐ前(めえ)に…」おまんが云う。
「それしかねえな」

二人はある村に差しかかった。大きな道を避け、二人は山の麓の小道を歩く。分校らしき、小さな学校が見えて来た。二人は顔を見合わせた。(先生なら手紙読んでくれるかも?)

近づいて行くが、子供たちの朗読や歌声、運動場の喚声などは全くなく、静寂そのものだった。日曜なのか、祭日なのか分からないが、学校は休みなのだ。二人は校舎の外から中を覗いて歩いた。どこからか、釘を打つ音が聞こえて来る。誰かしらはいるようだ。校舎の裏手に廻ってみると、40過ぎの男が本棚を修理していた。

「あのー」卓二が云う。
「ん?」男が顔を上げる、
「ここのしぇんしぇ(先生)だべか?」
「ああ、そうだ。見掛けない顔だが、何か用か?」先生の言葉は山形弁ではない。
「お邪魔すて悪(わり)いけんど、これ読んで貰えねべがど思って…」卓二が手紙を差し出す。
「何だ、そりゃ」先生が立ち上がって、手紙を受け取る。
「ある人が書いでくれたもんだけんど、何書いであんのが知りでえもんで」
「ふーん?」先生は封筒から手紙を引っ張り出し、目だけ上下させて黙読した。「これはだな。キミらは色々手伝ってくれたいいわらしだ。何かうめえもん食わしてやってけろという内容だ。一杯書いてあるが、後は娘や孫が元気かどうか聞いたり、こっちは大丈夫だとかいうもんだ」
「おれだぢ兄妹の母ちゃんのごどは?」とおまん。
「そんなことは書いてない」
「んだがっす。偉え助かったっす。どーもっし(ありがとございました)」ほっとした卓二が頭を下げる。

「キミらどこの在所のもんだ?」先生が聞く。
「上(かみ)の山中村の者(もん)だっす。酒田さ行ぐどごだっす」
「山中村?聞いたことないな」
「ずっと上(かみ)だがらなっす」
「ふーん?」先生は何か考えている。
「しぇんしぇ(先生)?」とおまん。
「ん?何だ?」
「しぇんしぇ(先生)はおれだぢの言葉と違う言葉かだる(話す)だなっす。どごのお人だべ?」おまんが聞く。
「おれも女(おんな)先生も東京生まれの東京育ちだ。東京、知ってるか?」と先生。
「聞いたごどはあるけんど…」とおまん。
「おれだぢ、村から出んのも初めてなんだっす」と卓二。

「キミら、蓄音機ってもの見たことないだろ?」先生が聞く。
「ちこんき?」おまんが目を白黒させる。
「なんだべ、それは?」と卓二。
「よし、見せてやる。ついて来い」先生がずんずん歩き出す。
三人は学校の横に立つ住居に向った。それはこの辺で一般的な茅葺きの農家の造りとは違って、瓦屋根のいい家だった。「おい、ちょっと出て来い!」先生は家の中に声を掛けた。
「はーい!」と声がして、洋装の30代半ばの女性がエプロンで手を拭きながら出て来た。髪も当然洋髪で短くしている。目鼻立ちの整った綺麗な女性である。「あら?」卓二とおまんに気づいた女性はしげしげと二人を見つめる。
「これが女先生だ。おれの奥さんだ」先生が紹介する。
卓二とおまんが頭を下げる。
「二人に蓄音機聞かせてやろうと思うんだ。用意しよう。あ、キミら準備出来るまで、一寸待っててくれ」
先生と女先生は家の中へ入って行く。卓二とおまんは庭をほっついている鶏やヒヨコたちを眺めて待つ。

「あんた!どういう気なの?」と女先生。
「蓄音機見せてやるんだ」先生は押し入れから箱を引っ張り出す。
「それだけじゃないでしょっ?また悪い気起したんでしょ?」
「お前、あの子供達、可愛いと思わないのか?」先生は箱から蓄音機を取り出す。
「生徒をおもちゃにしたのがバレて東京を追われて来たの、忘れたの?ここも追い出されたら、もう行くとこないじゃないのさ!」と女先生。
「あの二人はずっと遠くの山奥の子供らだ。心配要らないんだ」
「でも…」
「こんな幸運滅多にないぞ!可愛い男の子じゃないか、え?」先生が女先生に囁く。
「あの女の子もね?」女先生がやり返す。




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