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34. 家庭教師

大奥様・松は多賀屋の将来が心配だった。息子・梅太郎は商いに身を入れず、松に頼り切りである。松は梅太郎の放蕩がいけないのだと思い、意見する材料集めに興信所に息子の素行調査を依頼した。驚いたことに、息子はたまの寄り合いで芸者を挙げることはあっても、妾はいないし、最近は女郎買いもしていなかった。志乃との子作りだけで息子の性欲が収まらないことを知っている松は、梅太郎の性の対象が多賀屋内にあるに違いないと考えた。

松は、信頼出来る奉公人としておまんと卓二を別々に呼んで「お前から聞いたとは云わないから、梅太郎の不道徳な行状を知っていたら教えろ」と要請した。おまんも卓二も口が堅く、どちらも黙秘権を行使した。仕方なく松は自ら家の中を徘徊し、探偵の真似事をせねばならなかった。その結果、驚くべきことが明らかになった。梅太郎はおまんを書斎に連れ込んでおまんこし、娘・多代の寝室にも忍び込んで近親相姦をしていた。母親である松との近親相姦を加えれば不道徳極まりない。松は、梅太郎との肛門性交はもう御免だったし、何よりも息子を目覚めさせなければいけないと考えた。そのためなら、自分の性欲を満足させることを断念してもよいと思った。全ては多賀屋の将来のためなのだ。

ある日、松は家族会議を招集した。梅太郎と志乃、そして多代が奥座敷に顔を揃えた。
「多賀屋の末長い繁栄を期すため、以下のことを家訓とする」松があらかじめ書いておいた書面を読み上げる。「多賀屋内における不道徳な交わりを禁ずる。すなわち、夫婦である梅太郎と志乃の交わりはいいが、それ以外の一切の交わりは許さない。奉公人との交わりも厳禁。これに違背した者は、土蔵に監禁し三日間の断食処分とする」
「えーっ!」期せずして、梅太郎、志乃、多代三人から(信じらんね!)という意味の叫び声が挙った。
「おまんと卓どんには、おめらの誰かが誘惑したら、すぐおれさ注進すっごどと云ってある」
「えーっ?」また一同が叫ぶ。
「三日の監禁・断食処分の後、反省の色もなく再び禁を犯した者は六日間の監禁・断食処分とする。さらに…」
「おっ母さん!そげに断食したらおれだぢ死んでしまうっす」と梅太郎。
「禁を犯さねばええんだ。健康に明るく暮らし、多賀屋を繁栄させるだ」と松。
「おっ母さんがいれば多賀屋は大丈夫(でえじょぶ)だべした」と梅太郎。
「おれもいつお迎(むけ)えが来てもええ歳だ。おれの目の黒い内(うぢ)に、おめに本気で商いに精出して貰いでえだよ」
「おっ母さん…」梅太郎は何も云えない。

「おまん。多代の家庭教師にお茶を出してけろ」と、ある日若奥様・志乃が云った。「お茶菓子はおれが用意するさけ」
「へえ」とおまん。
「あ、しぇんしぇい(先生)は二人だぞ。大奥様とおれだぢ三人の分もだ」
「へえ」
小学校すら行っていなかったおまんは、家庭教師なるものが何か知らなかった。若奥様が「先生」と云い替えてくれたので見当がついた。おまんこばかりしている多代の成績が下がって来て、梅太郎と志乃や大奥様が嘆いているのは、おまんも小耳に挟んでいたからだ。

「ぶじょほ(失礼)するす」おまんが奥座敷へお茶を運んで、お客さま二人の顔を見て驚いた。それは酒田へ来る前に卓二と一緒におまんこした男先生と女先生だった。
「あじゃーっ!」おまんは危うくお茶をこぼしそうになった。
「おまんちゃんじゃないか!」男先生が東京弁で云う。
「懐かしいーっ!」女先生も東京弁で云う。
「びっくらした!しぇんしぇい(先生)方、酒田さ来たんでがんすか?」とおまん。
「うん、われわれの熱心な教育方針が認められてね、酒田の教育委員会の要請でこちらへ転勤になったんだ」
「おまんちゃん、卓二くんも一緒に多賀屋さんで?」やはり、女先生の関心は卓二である。
「へえ、卓どんもこっちゃ(こちら)に御奉公させで貰ってるっす」
「そう、“卓どん”って呼ばれてるのね?」

多賀屋の一家は、思いがけず先生方とおまんが旧知の間柄だったという事実に茫然として、一言も発せなかった。
「おめさんら、知り合いだったのが?」やっと大奥様・松が口を切った。
「ええ。卓どんとおまんちゃんとはとても仲良くおつきあいしたことがありまして」と女先生。
「しぇんしぇ(先生)がチコンキつうもの聞がせでくれだっす」おまんは男先生が巫女さんの手紙のことを云い出さないように、話を逸らす。
「蓄音機ね」男先生が訂正する。
「酒田でも蓄音機の音楽聞ける小学生は、そういねえぞ」梅太郎が感心する。「ざいご(田舎)の学校で蓄音機聞かせるぐれえ熱心ださげ、教育委員会も放っておがねえわなあ!」この人選が間違っていなかったと満足する梅太郎であった。

「多賀屋さん。一つ御相談があります」と男先生。
「ふむ。云ってみでけらっしゃい」と梅太郎。
「普通、家庭教師はお宅にお邪魔して勉強を教えるものです」
「んだっす」と梅太郎。
「家内が多代さんに国語と社会、私が算数と理科を教えるわけですが、一日二科目40分ずつとして、家内が教えている間は私がぼけっと待っていなければなりません。私が教えている間は家内が手持ち無沙汰です」
「そうなりますだな。で、相談つうのは?」
「多代さんに、当家に出向いて頂けないだろうか?という御相談です」と男先生。
「夕食後ですさげ、夜道でがんす。危ねっす」と志乃。
「供をつければいいごどでねえが」大奥様の松がぴしゃりと云う。
「そうですよ、たった十分の道ですもん」と女先生。「卓どんやおまんちゃんが交代でお供してくれればいいんだわ」
「私どももですね、翌日の授業の準備に結構時間が必要なんです」と男先生。「40分と云えど、ぼけっとしてるのは辛いのです。家におれば色々参考文献を読んだり出来ますからな」
「よおぐ分(わがり)ました。では供をつけてお宅に伺わせるっす」と梅太郎。「ええな、志乃、多代?」
「そあだ(あなた)がそげえ云わっしゃるなら…」志乃は渋々承諾する。
「厳しぐ教えでけらっしゃい」と松。「必要だば鞭ば使って貰ってもええさげ」
「おばっちゃまったらっ!」多代がむくれる。

この家庭教師の一件が多賀屋に一波乱巻き起こすことになるとは誰も想像出来なかった。




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