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28. 遊戯

由美ちゃんに差出人不明の封書が届いた。中には手紙はなく、ある歌手のコンサートの切符が一枚入っているだけだった。由美ちゃんの御贔屓の歌手のコンサートだった。
「どう思う?兄ちゃん」由美ちゃんが聞いた。
「ほんとの切符かい?」と宏君。
「本物よ。ちゃんとナンバーリングしてある。で、これ結構いい席なの」
「行きたきゃ行けば?」
「でも気味が悪い。どうしてあたしの好きな歌手知ってるの、この人?」
「同級生やクラブでお喋りしてれば、分るだろ、そんなこと」と宏君。
「目的は何かしら?」
「誰かがお前を引っ掛けようとしてんのさ。判り切ってるじゃないか」
「やだー。じゃ、行ったらやられちゃうわけ?」
「さあな。お前次第だ。嫌な野郎ならキンタマ蹴飛ばして帰ってくりゃいいんだ」
「そんなこと、出来るかしら?」

しかし、お気に入りの歌手だし、いい席だし、タダだし、由美ちゃんは切符を無駄には出来なかった。当日、由美ちゃんは数少ないよそ行きのスーツの一着に身を包んで出掛けた。由美ちゃんが会場に着いたのは開演30分前だった。早めに着けば、切符の贈り主と話が出来るかも知れない。凄く嫌な奴だったら、開演前に逃げ帰ることも出来る。そういう算段だった。開演時間は刻々と迫って来る。由美ちゃんの隣りの席はずーっと空いたままだった。十分前。もうほとんどの席は埋まり、客の若者たちの興奮したお喋りが会場を満たしている。幕の蔭からバックバンドが楽器をチューニングする音が漏れて来る。六分前。まだ、隣りの席は空いている。(来ないのかしら?)由美ちゃんは安心なようながっかりしたような気分を味わう。

五分前。観客に着席を促すベルが鳴る。ロビーや通路で談笑していた客たちも席に着く。
「失礼!」通路から二、三の客の前を横切って、一人の若者がこちらへ来る。空席の主だ!
「兄ちゃん!」由美ちゃんが叫ぶ。若者は一張羅のスーツを着込んだ宏君だった。
「由美さん、よく来てくれました。ぼく、宏と云います。よろしく」と宏君。
「これ、ブラインド・デートって趣向なの?」由美ちゃんが囁く。
「そ!」
初デートだ。由美ちゃんは涙が出そうになるほど嬉しかった。由美ちゃんは兄の手を取り、しっかりと握り締めた。(なんてやさしいんだろう!)こんな場所でなければ、兄の首っ玉に飛びついてキスしたいところだった。

兄妹はコンサートを楽しんだ。拍手する時だけ手を離したが、その後また二人の手は握られた。

コンサートが終わった。
「宏さん、ありがとう!とっても、とっても楽しかった!」と由美ちゃん。
「まだデートは終りじゃありませんよ。お食事に行きましょう」と宏君。
宏君は洒落た小さなイタリアン・レストランに由美ちゃんを案内した。二人でワインを呑む。
「由美さん、ぼくをどう思います?」と宏君。
「好きよ、宏さん」と由美ちゃん。
「ほんとに?」
「ほんとよ!」
「由美さん、じゃ、ぼくと結婚して下さい!」と宏君。
「えーっ?」
宏君はガラスで出来たおもちゃの指輪を取り出す。ピンクの指輪だ。由美ちゃんはくっくっと忍び笑いする。
「お願いです」と宏君。
「謹んでお受けします」と由美ちゃん。宏君が妹の薬指に指輪をはめる。
「キスしていいですか?」と宏君。
「ここでそんなことしたら」と由美ちゃん。「キンタマ蹴飛ばしますわよ」

食事を済ませた後、宏君は近くの連れ込みホテルがある一角に由美ちゃんを誘う。
「おつきあいを始めたばかりでナンですが、婚約も整ったことだし、いかがでしょうか?」宏君が一軒のホテルを指差す。
「でも、結納金をまだ頂いてませんわ」と由美ちゃん。
「明日、現金書留で送ります」と宏君。
「おもちゃのお金じゃないでしょうね?」
「本物です」
「なら、いいわ」

二人は鏡が張り巡らされたラブホテルの一室で絡み合った。由美ちゃんにとって、とても甘美な夜だった。




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